本願力に遇いぬれば むなしくすぐる者ぞなき 功徳の宝海みちみちて煩悩の濁水へだてなし(親鸞聖人)

私は明年、馬齢八十三歳を迎えます。喜んでいいのか、悪いのかわ かりません。 あたりを見渡しますと大勢いてくれた同級生は一人もい なくなり、《むなしさ》を感じます。 それは間違いなく死期に近づい ているという不安であり、《はかなさ》であります。

自分で云うのもおこがましいが、自分のこれまで過ごしてきた人生 ネ これで良かったのだろうか? 至らなかったことも多々あるが、それな がりに頑張って歩んで来たつもりだ。

残りの人生も同じように頑張りた い。でも、心の奥底に「漠然とした不安」と、「これでよかったのだ 話ろうか」という問いがあらわれます。

この問いは、具体的に云うと『必ず死ぬのになぜ生きるのか』と云う問いでもあります。この問いに答えられない限り、生きることの意 味は見いだせないのではないだろうか。

しかし、この問いには答えられない。答えたとしても、それは自分の都合の良い結論に終始するだろう。 だとしたら、人生に《むなしさ》《はかなさ》を感じるということ は、自分が自分に問うているように思えるが、実は阿弥陀さんから私 に対する「問い」だったのだといただける。 人生に《むなしさ》《はかなさ》が現れることは、悲観することでもなく、絶望することでもない、阿弥陀さんからの勇気づけであり、見捨てないというはたらきである。

宗祖親鸞が「本願力に遇いぬれば、むなしくすぐるひとぞなき」と、述べたのは、本願力(阿弥陀さんのはたらき、問いかけ)を浴び続けられていたという事であり、 煩い悩ます事柄に出会っても、阿弥陀さんとの二人連れの人生を楽しまれたのだろう。

南無阿弥陀佛




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