お健やかに新春を迎えられたこと、お慶び申し上げます。 お正月は幾つ何十になっても、清々しい喜びを感じます。その賜った喜びを巻頭に表し、新年のごあいさつと致します。

新しい年を今、生きているというはたらきを、よくよく考えてみると、 「いのちの事実」を与えられていると云うことであります。 その事実の前 では、私のはからい(おもい解釈)と云ったものは一切無用であります。 なぜなら、生きるという事実は、私以外の一切のたらきによるおかげであり、そしてまた私は、他のいのちが生きる縁になっているという、 二つのはたらきがあります。

親鸞聖人が浄土真宗と名付けられたのは、「いのち」のはたらきのことであります。 そして、ここで回向と云っておられるは、私たち生きて いる者の、いのちの事実を言い当てた言葉だったのであります。 「いのちの事実」とは、いのちは自分のものではないということで、 いのちは「与えられたもの」という事であります。つまり回向とは、与 えられていたという事実を言い表わす言葉だったのであります。 世間的な使われ方の「回向する」と云うのではありません。回向とは、 自分が出来るものではなく、賜わっているのであります。 「いのち」は自分のものではない、私有化出来ない。「いのち」は徹底的に自己以外の他に任されているという事実を表しているのであります。

その事実とは、それぞれの人々は、どの人も、「いのち」の「個性的表現」をしているという事であります。いのち輝け!

南無阿弥陀佛




サイトマップ
TOPページに戻る
Copyright c Shogyoji. All Rights Reserved