地球上に人間が誕生以来、宗教、文化・科学・芸術の各分野が追求してきた永遠の課題である。 親鸞聖人のお手紙の中に、「なによりも、こぞことし、老少男女お おくのひとびとのし (死)にあいて候うらんこそ、あわれにそうらえ。 ただし、生死無常のことわり、くわしく如来(お釈迦様)のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう」とある。(末灯鈔)

親鸞聖人の晩年にも今日のような、コロナ(はやり病)が起こり、 当時の人々が多く亡くなられたことを伝えられている。聖人のもとに も感染の恐ろしさ、不安な気持ちを相談にこられたのであろう。その時、「私も死の不安、はやり病で死ぬのではないか、という恐れがあ る。しかし、お釈迦さまがおっしゃられる通り、死は、人間に生まれ た定めである。だからこそ、光明無量・寿命無量の『如来のはたらき (本願)」をいただき。お念佛申しながら如来と共に歩むのだ、と話し合われていたことである。

人間に生れたということは、人類の業を背負って生まれてきたので ある。業とは、生・老・病・死という四つの苦である。この苦悩は、 科学が今日のように発展してもよく分からない。 遺伝子が見出されて、 遺伝子の中に老・病・死という指令がはたらいている。しかもそれが 何故、人間の場合は、だいたい長くても百年、それ以上生きる方もい るが、どうして、成長して衰えていくのか分からない。永遠に続くい のちにすることが出来ない。

こういった人生不可解なことから、人生とは何ぞや!の問いが生ま れ、その問いを求めて、先人たちが人と生れたことの意味を訪ね歩まれたのである。 毎月二十八日は親鸞聖人ご命日のつどいである。「人と生れたこと の意味を聞く」つどいである。

南無阿弥陀佛




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