このページのTOPへ戻る

つまり、人生には自分の思い通りになることと、ならないことがあると、いう事である。
しかし体験上、思い通りならないことのほうが多い気がする。経典には次のように示されている。
この世において、どんな人にも成しとげられないことが五つある。一つには、老いてく身でありながら、老いないということ。二つには、病む身でありながら、病まないということ。三つには、死すべき身でありながら、死なないということ。四つには、滅ぶべいものでありながら、滅びないこと。五つには、尽きるべきものでありながら、尽きないという事である。

ここには、老・病・死・滅・尽は人間が避けることの出来ない永遠の真理であることが説かれている。
この道理は、私たち知らないわけではない。いな、充分に知っていて体験もしている。しかし、解っていないのである。知るということと、それが解かるということとは違う。知るということは知識。解かるという事は智慧である。智慧を賜るのが佛法者である。

私は子供の頃から、真っ青に晴れ上がった夏空を仰ぎ見るのが好きである。特に夕方、西野二上山(ふたがみやま)を背景に西に沈む、太陽の姿は見事である。太陽が西の沈む、太陽の姿が没して観えなくなっても、夕焼け雲は真っ赤に輝いている、空は茜色(あかねいろ)に。 私は、男性の平均寿命、八十一歳を超えさせて頂いた。自分の陽は、没しようとも、そこに残っているのが輝くような、そういう人生を、お念佛を申しながら全うしたい。


石川の松任市に本誓寺といる名刹がある。縁あって何度かお参りさせて頂いた。七月お梅雨明けごろの熱い中で、本誓寺では虫干し会が開催させる。 先代のご住職が収集された書画、骨董の美術品を無視干しされ近隣の方や全国から大勢の方々が参詣される。中でも有名なのが幽霊を描かれた一幅の軸である。 幽霊に三つの特徴があり、日本の幽霊は若い女の姿をしているのが一般的だという。

三つの特徴の
一つはおどろ髪をうしろへ長くひいているということ、
二つ目は、両手を前に出して垂らしているということ。三つ目は足が無いという事だという。
乱れた髪をうしろにひいているのは、済んでしまったことを、いつまでも、とらわれている姿を現しているという。 両手が前に出ている姿は、取りこし苦労をしている姿を現しているという。 三つ目の足が無というのは、生きているのは今しかないのに、その今を、過去へ、未来へと飛んでしまい今のこの現実に足がついていない様子を表しているのだそうだ。

幽霊は他n居るのではなく、自分そのものを知らしめている。 軸を見にきた二人のお婆さんは、宇新美つらみのすさまじい眼をした幽霊の絵をみながら「ウラの嫁の眼だ」と、つぶやいた。 もう一人の婆さんは、「ウラ、あんな眼で嫁を見ていたかなァ」とつぶやいた。 「ウラ」というのは、北陸弁で自分のこと。


南アメリカ先住民に小さなこんな物語がある。「森か燃えていました/森の生きものたちは/われ先にと/逃げていきました/でもクリキンデイと云う名のハチドリだけはいったりきたり/くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは/火の上に落としていきます/動物たちがそれを見て/「そんなことしていったい何になるんだ」と云って笑います/クリキンデイは/「私は、私に出来ることをしているだけ」と、答えました/

不思議なことに、これとそっくりな話がお経にも出ている。そこでは一羽にオームが、山火事を消そうと羽を濡らして滴を運んでいる。 南アメリカとインド…文化や民族の異なるが、魂がゆすぶられる言い伝えが遺されてきたのだ。

ところで、真宗門徒なら誰でも知っている『正信偈』の冒顕「法蔵苔薩 因位時 在世自在王仏所」にもこの話が秘められている。
ある国の王が、佛と出遇った。その名は、世界で一番自由自在な佛という。国王はその佛を師と仰ぎ、国を棄てて弟子となった。 そして自分も佛と成り、どこにもない清らかな国士を作りたいと願って、師に教えを乞うた。師は、弟子がどこまで本気なのか見極めてから短い説法を始めた。 「ある人が、大きな海の水を、一っの器で汲み取ろうと思いついた。それがどんなにとてつもない願いでも、それが真実(まこと)ならば、どんなに長い時間をかけてでも、きっとそれを成し遂げるだろう」師は弟子を「法蔵苔薩」と名づけた。ここにも、ひとしづくの心が語られている。

これらの物語には、現代人が抱えている、「あきらめ・無力感・無関心」の壁を乗り越えるヒントがある。


正行寺境内に大人二人では抱えきれない楠の大木がある。樹齢は定かではない。落雷によって弱ったこともあり、今の高さを抑えてある。以前のような力強さが感じられなくなったが、 正行寺の歩みをジッと見定めてくれている老木である。でも、毎年のことながら四月末ごろからは、掃いてもはいても、落葉には閉口するし、ご近所にも迷惑がかけるし、厄介ものである。

それも、生きている証しではあろうか。
私たちは、今生きていてそして未来には枯れる(死ぬ)と考えている。 しかし、佛教では、生き物はすべて一刹那、つまり一瞬いっしゅん、縁あって生かされているのが事実だと教えられている。

私の体に例えると、約六十兆個の細胞で出来ていて、その身体を維持するために二百分の一の細胞を毎日、自ら壊し、そして同じ数の細胞を再合成することで均衡を保っているのだと云われている。私は毎日トイレのお世話になる。その折、毎回考えるわけではないが、自分の身体細胞の新陳代謝と出逢い、生きることの素晴らしさの、気づきを輝かせているのではないだろうか。

そういう一瞬一瞬、一日一日の積み重ねが、一ヵ月となり、一年、十年、何十年となり、今日を迎えている。だが、私たちは、明日への準備ばかりで、何かむなしく時を過ごしてしまっているのではないだろうか。
親鸞聖人のうたに
本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海にみちみちて 煩悩の濁水へだてなし と。


清沢先生は知る人ぞ知る素晴らしい求道者です。明治人らしい言葉使いの文章ですが、親鸞聖人の教えを、日常の言葉でかたられ、佛教の難しい言葉を使わず分かりやすく伝えようと努力下さった先生です。それでも、先生の在世当時から百年過ぎ去っていますから、堅苦しいと、感じられるかもしれません。

「我、他力の救済」云々の文章は、明治三十六年四月一日親鸞聖人の誕生会が開催され、お祝文いの言葉として書かれたものです。 三つの項目が謳いあげられ、三つとも他力の救済で始まっています。

Ⅰ、「私が、他力の救済を念ずるとき」とは、私が南無阿弥陀佛のお念佛を申しての生活は、山あり谷ありの人生だが、道が開ける。しかし、私が他力の救済をわすれた時、自分中心の生活に落ちいり、進むべき道一が閉ざされる。(意訳)

II、「私が、他力の救済を念ずるときは、物欲のために迷わされることが少なく、私が他力の救済を忘れた時、私は物欲のために迷わされることが多い」

Ⅲ、私が、他力の救済を念ずるときは、世に処するところ光明が照らしてくれる、私が他力の救済を忘れた時、私が、世に処するところを黒闇がおおう」

私たちの日常は煩悩に迷わせされる生活です。それ以外にありません。お念佛を信じるとはどんなご利益がありますか?を、こういう事だと告白された文章です。


「人事を尽くして天命を待つ」の間違いではと思われた方も、おるだろうが、間違いではない。
命がけでつくした事柄が、好い結果が出れば申し分ない。しかし、思い通りにゆくとは限らない。 今日までの人生経験から、体験済みである。

上の言葉は、真宗門徒の生活態度を示された言葉である。軸足を大地につけた力強い求道者としてのことばである。どんな結果が出ようと、問題を背負って堂々と歩むという事である。

聖徳太子の言葉「世間虚仮・唯佛是真(現象世界は仮のもので、佛のみが真実)」なる佛教の教えがよりどころ。阿弥陀如來の絶対他力に任せ切って安心している姿です。

言葉の主清沢満之師は、東本願寺宗派内ではウルトラCの有名人である。宗門外では、あまり知られていない思想哲学者である。ただ、今世紀に入って、やっと世間から認められるようになり、 岩波書店・法蔵館といった有名書店から全集や、書籍が出版されるようになった。

師は、明治十五年(1882)東本願寺の育英学生として東京大学で哲学を学び。夏目漱石や、正岡子規らと同期であったという。 先生は、今ある自分は、本願寺のご縁なくして自分ははないと厚い恩義を感じられ、宗門の発展にご尽力下された。その過労が結核に罹られ、その闘病中も多くの青年層の育成に充てられた。

その間、子息や奥さんにも先立たれ、苦悶の日暮から出た念佛者のことばである。 明治三十六年・三十九歳十ヵ月の生涯であった。
感銘を受ける言葉に
「生きのみが我にあらず・死もまたわれらなり」がある。


「元日や冥士の旅の一里塚 芽出度くもあり目出たくもなし」どなたのうたか知らない。 たぶん、一休さんでなかったかと思う。師は八十七歳の長命であった。私も犬馬の年を重ね、お正月といっても、これと云ったことはなく、煩わしい思いがさきにたつ。でも、自分の人生で初めての朝を迎え、お念佛を称えられることがまことに嬉しい。

お念佛とは、「佛から念じられて佛を念う」ことで、佛とは、阿弥陀佛です。 普通「阿弥陀佛」と云ったら、本堂のご本尊であったり、お内佛(仏壇)の仏様をアミダさんとよばれている。
「アミダ」とはインドのことばで、その「音を」漢字に置き換えたのが「阿弥陀」です。 中国の人は意味内容を「無量」と訳しました。量ることばではないということです。 阿弥陀の「はたらき」を云い表しているのが、光明であり、智慧で、これらは量ることが出来ません。

しかし、私たちの日常は明けても暮れても、何でも、かんでも、何よりも自分自身まで比較し、いい気になったり、また逆に落ち込んだりの繰り返しがわからないどものすがたです。 私を生かしている阿弥陀のいのちのはたらきは「あなたは、あなたとして出来上がっているのです」と、呼びかけて下さっているのです。 その私への呼びかけが、「南無阿弥陀佛」です。南無阿弥陀佛の響きが、私の声になって称えさせて下さっているのです。


師走を迎えた。過ごしたこの一年、北から南まで自然災害の多い年であった。 六月には、北摂地震、七月は、梅雨前線による西日本豪雨、そして台風襲来。 北海道地震。九月四日には、第二室戸台風を想い起こす被害が関西方面に。以前、お世話になった茨木市を所要で訪ねると、地震と台風の爪あとが今も痛ましく残っている。 市内、山間部の或るお寺は、本堂の屋根が崩壊しブルーシトが痛々しい。

我が国は、災害列島とも称されるが、我が国に限った事ではなく、地球全体がおかしくなっている。 災害は、人間にとって起きて欲しくない。ことだが、宇宙の営みは、「われ関せず」と云うところか。
殊に現代人は自然を開発(破壊)することによって、自分らの欲望を満たそうとしている。問題が起きると自然現象や開発を問題視するが、果たしてそれでよいのだろうか。海岸を埋め立て飛行場作ったり、万博会場を設けたりする。 想定外のことが起きるのは当然である。沖縄では、自然豊かな美しい海を埋め立てアメリカ軍の軍事基地建設が強行されているが、 三百年もすると、今は頑強なコンクリトでも風化し、サンゴ礁やジュゴンの見られる海底に戻ることであろう。

現代使われている『自然(しぜん)』という言葉は、約百五十年前、西洋から伝わってきた英語のネイチャーを日本語に翻訳した言葉である。 「自然とは」辞書によると(ジネンとも)「おのずからそうなっていさま」とある。

私たち人間は、「間に会っている、間に会っていないとか」「損か、得か」の価値判断に振り回されて生きているのが実状である。 そのような私たちの姿を「煩悩具足(ぼんぼうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」と言い当てられ、佛の願(阿弥陀佛)の願に託して生きる以外に道はないと、教えられているのである。


十一月二十八日は親鸞聖人のお祥月ご命日である。その前後に報恩講を勤めるのが、真宗門徒のつとめである。正行寺では例年、霜月、十日・十一日と定まっている。 その準備を先月十五日頃からボッボツ取り組んで、最初に取り組むのは、ご本尊のお宮殿の屋根のふき掃除。坊守らは何枚もある障子の張り替え等々。ふと来年の報恩講、こうして迎えられるかなと、頭をよぎることである。 故暁烏敏先生は「報恩講の安内状に添える言葉」の中で報恩講を勤める心について、次のように云っておられる。

「私共人間は恩波の上にただよっている小舟の様なものである。前も恩、後も恩、右も恩、左も恩、過去も恩、未来も恩、私がこの世に居るという事の一切が御恩である。この御恩は返しても、返しても加わってくる。私共の生活は、恩をうける生活であると同時に、恩に報いる生活である。この事を教えて下さったのが親鸞聖人である。聖人の教えがなかったら、私は恩の中に居ながら恩を知らないでいたことである。これによって思うに聖人が私の受けている御恩の根本である」と。

つまり、親鸞聖人のご命日を縁として報恩講を勤めるのは、親鸞聖人の教えによって生きていること、そのことが、大いなる恩の中にあることなのだという事実に目覚めさせられるのである。 親の年忌を勤めるのも、親を通じていただいた「いのち」のはたらきの真ん中に居ながら、それを忘れて「いのち」まで私有化しようという、真理に背いたあり方に懺悔し、「いのち」の意味を確かめるために勤めるのである。報恩講は親鸞聖人のご命日の佛事だが、各家庭で勤めらえる年忌法事も、報恩講と云う意味を持つと云えるのである。 それは、我々は自分がいて「いのち」があると勘違いを起しているC「いのち」が先きにあって私がある。


左の言葉は、帰命無量壽如来(きみょうむりょうじゅによらい)で始まる正信偈のことばです。煩悩があるがままで涅槃(さとりを開く)ことが出来るとおっしゃるのです。 普通に考えますと理解出来ません。煩悩を無くして、その後と云うなら分からなくはないですが。 私たちの一日をふりかえってみますと、欲を起しているか、腹を立てているか、欲も起こしてない、腹もたてていない時は、愚痴を並べています。 一度、今日の一日を振り返って見てください。

煩悩とは、次の三つです。
『貪欲(とんよく)(欲望)』『瞋恚(しんに)(怒り)』『愚痴(ぐち)(愚か)』です。 これらの煩悩は、一見ばらばらにあるように見えますが、じつは、三者の間には密接に関係しあっています。

私が怒りをおぼえるのは己の欲望が満たされず、自分にとって都合が悪いからです。 このように怒りは欲と結びついています。そのような怒りがわいてくるのは、己の能力を正しく評価せず、自分の都合で自分が正しいと考える、無知から起きるものです。 このように見ていくと、欲と、怒りの根底には愚かさが原因であることが明白です。
お釈迦様は、この愚痴(愚か)が取り除かれることによって、人間は煩悩の世界から脱することが出来ると考えました。当然ながら、愚痴は智慧によって取り除かれます。

本当の智慧を獲得するため、阿弥陀如来の願力をしんじなくてはなりません。そこに聞法(求道)の難しさがあります。 お念佛を喜んでくださった、先輩方は血のにじむ聞法をかさねられ、お年佛を喜ぶ身に成られたのです。


日ごろの話で「凡夫やからねI・どうにもならん」と、自分の行いを投げりと云うか、致し方ないと、認めるような発言をしてないでしょうか? このような思いは、どこから生まれるのでしょう。 私たちは、「世の中に間に合う優れた人間にならねば」という思いを何時の間にか刷りこまれて持っています。 「凡夫ではダメだ」頑張って立派な人間に成らねば、という人間観です。そのことは大事なことです。 しかし官僚のトップにのぼり詰めた立派な方が?セクハラで世間を騒がせるのです。 あるお家の孫さんが、学校から帰るといつもお婆さんがテレビを見ながらウトウト居眠りをしているという。 その姿を見ている孫さんは、「ある時、お婆ちゃんはいつも居眠りばかりして、世の中のために間に会ってないナァ」と、思っていたという。 そのことを耳にしたお婆さんは、孫さんをお内佛(お仏壇)の前まで運れて行って、叱ることなく、お内佛を指さして、あに誰がおられる?. 孫「阿弥陀さんがおられる」 婆「阿弥陀さんは世の中のために間にあっているか?」 孫「?!」 婆「阿弥陀さんは、人間は間に合うとか間に合わんとをおっしゃっていない。凡夫よ!」と、呼びかけ、みんな同じだと教えてださっている。 聖筐太子は、「人皆心在り、心、おのおの執るところあり。我必ず聖にあらず。彼必ず愚にあらず」 (人は皆心を持っている。しかしとらわれるところがある。自分だけが素晴らしく、自分以外の人が愚かということではありません。共に凡夫がいるだけです) 私たちは、幾つ飼+になっても子供の時と変わりません。そのことを、「凡夫はすなわちわれらなり」と、おっしゃるのでしょう。


「自然」の読み方は呉音読みで、普通の自然で漢音読みです。佛教は呉音読みです。

佛教が日本に伝わって来た当初、呉音の読み方で伝わりました。その後、奈良時代になって、漢音読みが伝わり、朝廷は漢音読みに統一しようとしましたが、呉音読みが流布していて統一できず、今日の様に日本語には、呉音、漢音、唐音の読み方が混在していています。 提灯(ちょうちん)は唐音で、室町時代に伝わりました。

山川・草木・海などを総称して自然と呼び習わしています。 その自然の中には人間は含まれず、自然が人間の為にある。と、一考えるのが近代ヨーロッパの考え方で、キリスト教の思想です。

佛教は、人間も自然の一員と考えます記忠沼と云うのは、「もとより」とは、「そもそも」とか「本質的に」と云う意味ですから、「言うまでもなく」というニュアンスが込められています。 「しからしむる」とは、そのように出来上がっている。と云う意味です。

自然(じねん)とは、私たち凡夫に対する「阿弥陀如来のはたらき」のことであると、親鸞聖人は語られているのです。 その点をよく理解したいものです。


手に入れて そのまた先が ほしくなる
願いごと 叶えば次の 願いごと(新聞 川柳) 


今の世の中、都合の悪いものは排除して、快(こころよい)ものをどんどん広げようとしているのが、私たちの姿である。お釈迦様の時代から今日に至るまで、人間のありようは、―つも変わってない。 上に掲げた言葉は、二千数百年前のお釈迦さまの説法で、私たちの心のありようを見抜いて、こんな言葉を残しておられるのである。 私たちのさまざまの行為は心のはたらきが原因で、その一番深いはたらきを、『三毒の煩悩』と云われ、貪(トン。むさぼり)瞋(ジン・はらだち)癡(チ•おろか)の三つであると教えられている。

もっと快適に、もっと便利に、もっと豊かに、と努力するのは人間の知恵である。ところが、どんなに思い通りになっても、そiれだけでは落ち着けないのが現実である。 私たちの、「もっともっと」と追い求める心は、日常生活の中で起こるが、そのことはi世間的考えで、迷いそのものである。 お釈迦さまが出家された目的は、「世間を超える」という事を求められたのである。

世間の価値観中心で生きている私たちには一理解できない。そのためには佛の智慧を聞く以外にみちはない。 聞法を大事に、と言われた由縁である。


三帰依文の冒頭のことばである。
私たちは、「生きる」ことと、「死ぬ」ことは全く別な次元であると考えている。
しかし、死は、自分に必ず訪れることは分かっている。だが、平素は他人事にし、自分の問題とはせず先に追いやって、 日日の生活に惑わされているのである。

中川皓三郎先生の部屋を以前訪ねたことがあった。先生の後ろの本棚に、「お前も死ぬぞ!」と書かれた、墨書が目に止まった。
直視している私に、これは互いに語りかけられている言葉ですと、笑顔ではなされていた。それにならって私も卓上に「常在臨終」の色紙を掲げ、 「死」という事が日常から忘れた時のために座右の銘にしている。 佛教の教えでは「生死一如」と云って、生と死は―つの間柄で、「紙のうら表のようなもの」と教えられている。例えば、死は都合が悪いからといって紙の裏側を削り取ると、表も自動的に削り取られる。
また、日ごろ「生きている云々」と云っているが、生きているのは「今」しかないのだとも教えられている。 私のような頑魯な石の塊、石は沈む以外に道なく、沈むはずの石(私が)弘誓の船に乗れば沈まないのだ、と。 「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」


江戸時代の川柳に『火の車、作る大工は、なけれども、己が作りて、己が苦しむ』というのがある。
人間の内面を取り上げた面白い歌だ。自分の煩悩で、自分が苦しむ。と云う。

毎日報ぜられているニュース。国民の為の政治が、国民をバカにした姿に、うんざりだ。 そのことに国民から(特に若者から)怒りの声の上がらないのも、これまた不思議な現象だ。
我が国、最高の頭脳集団と云われる財務官僚。破棄して無いと答弁した公文書、出てきたら、それがなんと改ざんされていたという。 「改竄」のざんの漢字の意味は、穴蔵にネズミを隠すことらしい。誰を隠しているのか?

口裏合わせに始まって、そのうえ助ベー爺の後始末。国会と云う国民の為の最高機関も地に落ちたものだ。 聖徳太子が今から千四百年前、政(まつりごと・政治)をすすめるにあたって、十七条憲法を制定された。 その十条に次ぎのように謳われている。


誰でもこの宇宙の中で、
比べる必要のない私なのです。

四月八日は、ブッダ釈尊の誕生された日と定められ、「お花まつり」と呼び習わされています。 正行寺では四月八日(日)花御堂と誕生佛を一日中本堂前白州にお飾りしてお祝いをします。甘茶の用意もあります。 どうぞお気軽に参加ください。

冒頭の『天上天下、唯我独尊』いう釈尊の誕生偈の言葉を紹介しました。 それは、現代と云う時代は、人間は謙虚さを忘れ、傲慢に落ち入っています。 この時に『自由』と云う言葉の持つ深い意味合いを、吟味しなければならないと考えるからです。 自由とは、「何でも人間の思い通りになる」と、云うものではありません。

自由は、一定の前提条件の下で成り立っているので、無条件で絶対的な自由は人間には無いのです。 人間は、生きる上でいろんなことに拘束されて生きねばなりません。私もご多分にもれず、体力的に思いもよらないことに束縛され、歳を重ねるとは、こういう事かと教えられています。 釈尊自身も「わが歳は八十となった。たとえば古ぽけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らく私の身体も革紐の助けによってもっているのだ」(プッダ最後の旅・岩波文庫)。こういった条件の下で生きている。しかし、劣っているのではない。

高齢と云う条件の下、自在に生き、比べる必要のない私として輝いているのです。


オリンピックは感動を紡ぐと言われる。今回のピョンチャン五輪でも多くの感動を得ることが出来た。
特に女性の活躍がすばらしく、上の言葉は、金メダリスト小平奈緒選手の優勝翌日の記者会見で、「今日までの選手生活を三つの言葉にしたら」という問いに、即答した言葉である。
この三つの言葉は、ひたすらメダルに向けて熱中するさまをこのように表現されたことばである。世界一を希求するスポーツ者は、ある意味、求道者でなければならないという信念で今日まで歩んでこられたのである。

女性のオリンピック選手をあえて「スポッマン」という呼称には少し違和感を持つが、「求道者」と云う宗教的な言葉と、スポッマンとは無関係のように思われるかもしれない。しかし、 スポーツの中に人生があり、宗教とは、人生そのものを支えるはたらきである。

私を育てて下さったある先生が、学業を離れて寺に帰るにあたって餞別(はなむけ)の言葉として「當麻君!坊さんの仕事は、やればやるほど幾らでもある。だが、一日のたしなみは、朝の勤めを欠かさじとたしなめ、とあるごとく、このこと一つが出来たら一人前だ」と。 どこまでたしなめたかはなはだ不安である。その賜った言葉をよりどころに今日まで宇弓手来たつもりである。人生は学びそのものである。おかげ様で多くの事を学ばせて頂いた。

また多くの方々にも出逢わせて頂き、お育てをいただいた。有り難いことである。


自己とは何ぞや、これ人生の根本問題なり。 幼いころから「私とは」と、誰でも抱えている素朴な問いである。 でも、いくら考えても堂々巡りで、これと云った納得できる答が得られない。そのため、そまま打ち捨てているのが実状である。 しかし、人間に生れた限り、どこまでも自己自身にこの問いを持ち続けていかねばならない。

また、清沢満之先生は、 「生のみがわれらにあらず。死もまたわれらなり。 われらの生死を並有するものなり」と、うたわれた。 すなわち私の人生に、生と死の二つが別々にあるのではない。 生死は一如(いちにょ・一つ)なのだ。 生のみを追い求めて、死を避ける姿は恐怖でしかない。それは、死のみが不安で無く、生そのもの不安なのである。生死一如だから。この生死の現実を正視するとき、不安の解決は人間のちからでは、まttく無力である。そこを親鸞聖人は、 生死の苦海ほとりなし ひさしくしずめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける と教えてくださった。


一という、はじめの数にふみ出だす、日なり、今日なり、ただしくあらん

二〇一八年(平成三十年)の新年を健やかに迎えることが出きました。 「有ること難し」「ありがたい」ことであります。 ブッダ(お釈迦様)の初期経典にダンマパダ(法句経)があり、その一八二番目に下の言葉があります。

「ひとの生を うくるは かたく やがて死すべきものの
いま生命あるはありがたし 正法を耳にするは かたく
諸佛の世に出づるも ありがたし」とある。

「縁起」でもないと云われるかもしれませんが、昨年中に三人も友人が亡くなった。 次は自分とおもいつつ。うかうかと過ごしてします自分がここにあります。
紀元前五〇〇年前、お釈迦様が発見された天地の真理は「縁起」の一言で表現できます。 一切のものが一点の例外もなくみな関わりあって存在しているのだというのです。 私一人うぃ生かし、木一本を育てる背景に全地球、全宇宙の働きがあります。 その生命の尊さに目覚めよ!と、いうのが縁起の教えであります。


今年も残り少なくなりました。この地球上でいろんなことが有りました。
故、横山祖道導師と云えば曹洞宗の有名なお坊さんである。かなり以前、NHK宗教の時間で語られた言葉、 「この地上に住むすべてのものが、大空という一つの屋根の下、大地と云う一つ床の上に住む兄弟じゃないか。それに境界線などを作って、取った、とられたと限りない争いを繰り返す。残念なことですなあ!」と、忘れられない言葉である。

”地上に住むすべてに人”とはおっしゃらない。すべてのものが、一つの生命(いのち)に生かさせている兄弟だというのである。たとえば、今われわれは地球と云う一つの宇宙船に乗って、この宇宙を航行している。この地球が月ほどのように小さかったら、引力が弱いため浮き上がって、空気が薄く、生きて行くことができないという。地球と太陽の距離が保ち続けているお陰で、われわれは安心して生きていられるのである。

「皮の突っ張りの中だけで生きているのではない、全体で生きている」宇宙の総力挙げてのはたらきを佛性と呼び、南無阿弥陀佛と名のる。親鸞聖人が門弟から、念佛者は社会とどのように関わればよいか、の問いに。真の平安を招来するのは、佛教の教えしかない信念から出た聖人の言葉である。


宗祖親鸞聖人は、七百五十五年前の十一月二十八日のお昼すぎ、お浄士に還られました。 その日をご縁にして、ご本山東本願寺では、十一月二十一日から二十八日の満日中のご満座まで一週間、報恩講を厳修される。

昔は、「報恩講に始まって報恩講で終わる」と、言われたもので、生活の中に組み込んで営まれたものである。畑仕事においても、これから育てる野菜は末年の報恩講のお斎(おとき•仏事の時にいただく食事のこと)に使う惣菜にと、心を込めて作られた。今となっては、一汁三菜のお粗末な料理だが、参詣者一同で味わったものである。
料理に趣向が凝らしてあって、お平椀の蓋を取ると、まず目に付くのがシイタケ、三角に切った厚い油揚げ、お芋の煮つけ、ゴボウ、ニンジン、ヒジキといった献立であった。

シイタケは、親鸞聖人が旅をされた時の日よけの網笠。
三角の油揚げは身にまとわれたお袈裟。お芋は体です。
ゴボウは杖。ニンジンは、草桂の鼻緒で擦り切れ血がにじむ様子を表したものです。
世話方の「ご開山(親鸞)様のご苦労を偲んでいただきましょう」の発声でお念佛を申しながら頂いた。

今は年中行事の一環として営まれ、スケジュールをこなす感じである。 時代がそうさせたのか、何か味気ない。二昼夜勤められていたのを想い出す。 今は一昼夜、お斎(とき)もなくなった。出来うる事なら手間を惜しまず、お斎の復活を願うものである。


下の言葉は、いつもご一緒におつとめします正信偶の冒頭の

帰命無量壽如来、南無不可思議光(きみょうむりょうじゅにょらい、なむふかしぎこう)を、日本語に訳したものです。 「お経はむつしい」と、よく聞きます。ならば日常のことばに訳すと理解できるかと云うと、耳障りはよいのですが、何か軽く感じて、分かったようでさほどでもありません。
だからといって、そのままで好いわけでもありません。

帰命(きみょう)とは、「命に帰る」ということと、「命に帰れ」という二つの意味があります。 命とは「無量壽のいのち」であります。私たちは「いのち」と云いますと生命としての肉体的いのちを考えます。もちろん、肉体のいのちは、掛け替えのない尊いことですが、必ず限りがあり、最後は終わってゆかねばなりません。私は、既に終わっていても不思議でない私です。

今、無量壽と示された「いのち」は、永遠に尽きることのない「阿弥陀のいのち」です。量ることの出来ない永遠のいのちを、我が「いのち」として私にあたえてくださるのです。
阿弥陀のいのちを我がいのちとするとは、「真珠のようなもの」と、いただいています。 真珠は、アコヤ貝の中で小さな傷が核となって、真珠質という分泌物を抱き込んで育ちます。
私の人生も、いろんなことに出会います。それはそれでよいではないかと、呼び掛けられ、歩まれて頂くのです。

傷は傷と頂いて歩ませて頂き、「私のいのち」は輝いているのです。


「阿弥陀」はインドの言葉で漢字に置き換えたものです。それを中国の人は、「無量」と云いあらわしました。
現代語訳しますと、「分量で量ることが出来ない」という意味になります。 あるいは「無量壽」’『無量光』とも訳されますが、私どもの物差し(価値観)で量ることの出来ないはたらきを阿弥陀といいます。

私たちの日常は、自分の都合の物差しで量る世界です。「これではつまらぬ」「何とかせねばならぬ」そういって、自分の思惑を何とか成し遂げようと努力します。 しかし、残念なことにそれが実現しても、いっこうに思ったほど満足できるわけでもなく、 また、解決しても、その解決したことが原因で、次にまた問題が生まれてきます。

私たちの生きている世界は、息が出来る事―つを取ってみても、 植物が出してくれる酸素を抜きには成り立ちません。大地に支えられ、太陽に照らされ、雨に潤いをもらいながら生きているのです。 そんなつながりの事実に目を覚ますことも、分量で量ることの出来ない阿弥陀を念ずることから始まるのです。

ぉ念佛(南無阿弥陀佛)を称えることは、「ご利益」を頂くのではありません。 お念佛には、称えることと、名を聞くという、二つのはたらきがあります。智慧の念佛を称えさせて頂き、信心の智慧を授かるのです。 念佛も、信心も、阿弥陀仏からの賜りものです。お寺での法話に耳を傾けて下さい。


夏は、朝。清々しい早朝がよい。
昨今は、エアコンとか家電製品に頼らざるをえない生活環境になってしまった。
私は時代遅れか、あまり好きでない。自然そのままがよい。しかし、今日この頃の暑さには体を持てあまし気味で、何をするにも意欲がわかない。
子供のころは、夕方にでもなれば爽やかな涼風が身を癒してくれた思いがある。

生物は、空気の中に含まれている酸素を呼吸して生きている。 同様に、我々人間も同じことで娑婆世界に、佛さまからの頂きものの、「清浄心」の風、その清々しいはたらきに触れさせて頂き、日々生かされているのである。
酷暑の陽ざしが西に傾くころ、どこからともなく肌に吹き寄せるひんやりとした涼風を、先人たちは、「極楽の余り風」と評したのであろう。
日暮の中でお浄土(極楽)に触れる想いにはせたのである。

お浄士(極楽)は、西方十万億土過ぎた彼方に、実体的に存在するものではない。「ここを去ること遠からず」と、経文に云われているごとく、佛さまのはたらきは、生活の場にあるのである。 お浄土とは、われわれがそこに往くのではなく、向こうからやって来るものである。もっと言うならば、浄土とは、穢土(えど・我々が生活している所)の汚れを浄化する場所(はたらき)だということである。 お念佛を称えさせて頂く時そのはたらきにふれるのである。


上の間いは、人類始まって以来の問いであり現代を生きる我々が、真剣に考えねばならない問題である。 なぜなら、現代人は、自分のいのちは自分のものだと単純に考えている。
はたしてそうだろうか?

そこで、 一休禅師(一三九四~一四八一の辞世の句を紹介して、一休さんがいのちをどのように考えられておられたか学んでみたい。 一休さんは頓智でおなじみだが、禅の僧で念佛の教えにも造詣が深い方であった。


「借用申す昨月昨日 返却申す今月今日 仮り置きし五つのもの四つ返し 本来空にいまぞもとづく」

我々の身体は借りものである。佛様からからの借りものである。 借りたものは五つ、そのうち四つ返したという。古代インド人は人間の身体は四つの元素で構成され、病気はそれらの不調により起きると考えていた。
四大とは、地・水・火・風で形あるもので、必ず崩壊するものである。

空とは、願いである。 「空っぽ、何もない」ということではない。例えば、玉ねぎの皮をむいていくと、何も残らないのと一緒で、我々の一番底の奥で働いている願。それが「いのち」である。


阿弥陀如来の本願とは約束である。
一休さんのうたに、「極楽にさのみ用事はなけれども、弥陀を助けに行かにゃなるまい」というのがある。 人を食ったようなうたではあるが、「阿弥陀如来の本願(はたらき)」を一休さんなりの味わいでうたわれたものである。

私たちは、阿弥陀さん阿弥陀さんと親しみを込めて呼んでいる。
そこには、遠い昔に阿弥陀さんは、すでに覚りを開かれて、お浄土(極楽)におられて浄土から、私たちに呼びかけて下さっている、出来上がっておられる阿弥陀さんを、イメージしているのではないだろうか?
実は、阿弥陀さんのはたらきを教えて下さっているお経(仏説無量壽経)を読んでみると、そんな単純なことはどこにも書かれていない。 「生きとし生きるものよ!私の国に生まれようと願ってお念佛を申してほしい。もし生まれることが出来なかったら、私は誓う、私は覚りを開くことはない」と、約束下さっているのである。 必ず生まれてもらえるようはたらきかける。そのことが成就出来なかったら佛とはならない、とのお約束である。

そのことが信心である。
私に課せられているのは、お念佛を申させて頂くという事である。お念佛を申して、そのご利益を頂く為ではない。 お念佛を申すことが、阿弥陀様のお働きである。お慈悲である。
私たちは、お念佛ぐらい何時でも称えられると考えている。そんな単純なものでない。 そのように思っているのは、自我で、本願を疑っている証である。


我々は、生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く、
死に死に死に、死んで死の終わりに冥らし


小椋佳さんの歌に、「たらいの中からおけの中まで、なにもわからず生きていく」という歌があります。 たらいというのは、産湯を使う盥です。たらいの中からおけの中まで、おけは云うまでもなく棺桶です。 私たちは、生れたという事の願も分からず、死ぬという事の意味も分からぬまま、一生を生きている。
分からないことを、分かったつもりで生きている。

繰り返しますが「たらいの中からおけの中まで、なんにもわからず生きていく」という。 このような問いかけを今日まで自分に問うて見たことがあっただろうか。これが私たちの現実の姿ではないのか。

冒頭のゴジック文字の言葉、弘法大師空海さんの言葉だそうです。 同じ「くらい」と云う言葉を、「暗い」・「冥」と漢字を使い分けておられます。

そこには深い意味があるのでしょう。

人間の智慧才覚、理性といった、はからいでは明らかになりません。 特に八十路を迎えた今、真面目に過ごしてきたつもりの人生、「何だったのか」「これでよかったのか」と、問われています。

都合の悪いことも、好いことは思い出せませんが。「私の人生これでよかった」と、宣言できる私にならねばならないのです。 その為に、残りの人生、開法に励みたいものです。
(佛法に人生をかけて聞いてゆきたいものです)


我が大和高田市立高田商業高校が、二十何年ーぶりかで春の甲子園に出場する。 これと云った明るいニュースの無いいまどき、晴れ晴れする。勝ち進んでもらいたい。

冒頭の高校生の選手宣誓の言葉『当たり前にある、日常のありがたさ』と云う文言を聞いて、皆さんどう感じられますか? 『当たり前にある日常』こそが『有ること難い』ことだと。 日常のつらい練習の積み重ね、無心につかみ取った感動、感激からのことばだ。 サンキュと云った中味の軽いものではない。 深みのある重い言葉なのだ。



実はとの「有難う」と云う言葉、佛教語なのですι 何の気なしに使っていますが意味深い言葉だ。 「ありがたし」「有る」ことが「難い(国難だ)」、つまり、めったにない、めずらしいというのが本来の意味であった。 めったにないからこそそれを喜び、大事にする気持ちから、現代語の感謝の意味がでたのである。

佛教の教えの基本は「縁起」である。近ごろは演縁起が悪いとか、縁起かつぎとか、変な使われ方をされていそが本来の意味はそんな事ではない。私が今、ここにこうして居るとい行事は、インドのガンジス川の砂の数ほどの、ご縁を事いて、日暮させてもらっているのである。

そのご縁といも砂が、一つひとつ無くなると、私は居らないのである。 今日、ここに生かしてもらっているという事は、もの凄いことなのである。


このことわざ「朝のこない夜はない」ともいい、苦しい状況はいつまでも続くものではなく、
いずれ良い方向に進むものであると、解説されています。 「朝のこない夜はない」と、希望や夢が実現される日を願って、生きようとするのが人間です。 これも大切なことだと思います。 でも、私は八十路を生きる人間として、何か腑に落ちないものを感じます。

若くして体力のある時はそれでよいとしても、どんなに頑張っても朝のこない日が必ず訪れるのも事実です。 このことを教えてくれているのが佛教です。

近ごろ、歳を重ねたせいで、夜、何時に寝ても、朝五時ごろ一度目を覚まします。もう一度眠ることもありますが、寒いのでなかなか床を離れられません。寒さが身にこたえる近ごろです。 私の人生で初めての素晴らしい朝だ、新しい一日が迎えられたと頂いているのに、 その途端に、今日はあの準備をしとかねばならない、何時までに何処そこへ出かけねばならないと、世事の事に 追われて生きている自分がここにいます。

そんな私の生きざまに、このことを忘れてはいませんか?と、問いかけて下さった年賀状を頂いた。 いつもお念佛を持ち物としての生活をしている私に、外見だけの生きざまを見すえて発信下さった。 忘れ物はこれでしょう。と。 『浄土から生まれ、浄土に支えられ、浄土に還っていく』はたらきを。 (静岡・恩高寺年賀状から)


お健やかに、新年を迎えられましたこと、お慶び申しあげます。
今年はどんな年になりますか、八十路を歩みます。

右の筆文字は、本願寺八代蓮如さん八十蔵を迎えられた正月、 年賀に訪れた門弟道徳にかけられた言葉です。この言葉の裏には、新年を迎えた喜びよりも、 「念佛申すことは(信心)を得るととなのでその方がめでたい」と、申されているのでしょう。

「信心を得る」と云う言葉使い、一般的にはあまり使いません。
真宗独特の使い方です。世間的には、「信心する」と云ったように、自分の行為として使います。「私は彼を信じます」と使います。

ところが私たちが「信じる」とか「信じない」とか言っても、状況次第ではいかようにも変わります。 「念仏を信じる」などと言っても、わたし心を立場とする限り、状況次第で「もう念佛なんかするものか」と、いつ放り出すかわかったものでありません。

どこまで行っても、私の心は自分のつごうです。 ですから信心とは、私の心で成り立つのではなく、そんな私の姿をごまかしなく照らし出す光、
南無阿弥陀仏の大悲のはたらきの目覚めによって、あたえられる出来事です。信心は佛からのいただきものなのです。
南無阿弥陀佛を称える日暮で、煩わしいことに出会ったとき、一瞬、自我意識(自分の都合)で考えていたなと、気付かされます。 その気付くはたらきが、如来の大悲です。


今年も残り少なくなりました。
私も馬齢をかさねたせいか夜、何時に寝ても朝五時半ごろ目を覚まします。 目が覚めなかったら大変なことです。自分はそれでよいとしても、家族は戸惑うでしょう。

私たちは朝、目が覚めることを当たり前にしています。 周囲が見える、モノが言える、行きたいところに行くことが出来る。それより、私の人生で、初めての朝が迎えるととが出来た。そのととが驚きでなくて何としよう。

「日々これ好日」について、「来る日も来る日も、楽しく平和な良い日が続く。一日一日を大切に生きる心がまえを教えていう」と、解説されています。
しかし、この句は碧巌録に寵されている、仏教の大切なことばであります。

私たちの日常は、喜・怒・哀・楽・(喜びと怒りと悲しみと楽しみ)愛・憎・違・順・(愛することと憎むこと・苦を感ずるの と楽を感じる事が入り混じっている)日暮です。
そんな中、一日一日のすべてが「好日」であることなどはありえません。 どうしたならば「好日」を得ることが出来るのでしょう。
世間における全ての存在はど縁によってあり得ているという真実。これがお釈迦様の覚りによって明らかにされた真実です。
この真実に目覚めることによって、私たちは、ご縁のままに生きているのであり、ご縁のままにしか生きられないという身の事実が明らかになります。 どんなに頑張ってみても結局はご縁のままが事実です。
事実を事実と頂いての日暮、それが念仏者としての「好日」でしょう。


同 第八日午時、頭北面南右脇に臥し給
いてついに念佛の息たえましましおわりぬ。

今年の十一月二十八日で、宗祖親鸞聖人がお浄土にお帰りになりまして、七百五十四年になります。上に記しました筆字は、その時の様子を伝えた文です。
『頭北面西右脇に臥し給いて』とは、お釈迦さまの臨終のお姿です。お釈迦さまは、頭を北に顔を西に向け、右脇腹を下にして臨終を迎え、完全なさとりの境地である涅槃に入られました。

お釈迦様は、私たちと同じ人間として誕生され、ご修行の末、この世の中の道理を発見されたのです。 その発見された道理に随順して歩むのが真宗門徒です。
親鸞聖人もみずからの命終に際して、お釈迦さまの臨終の姿によられたという事は、形をまねるということ以上に、聖人の生涯の姿勢が、お釈迦様の弟子としての自覚を持うておられたのでしょう。

親鸞聖人の最期のお手紙は、お亡くなりになる約二週間前のものです。
その内容は、聖人の末娘さんが夫に先立たれて、二人のお子をつれて実家、聖人の下に帰っておられたのです。
娘の行く末が気になっていたのでしょう、門弟わ方えへ「生活の糧を」援助してやってほしいという懇望状です。 私たちの日暮と全く変わらない凡夫の身をさらして、お念佛を申しながら終生いきられました。 そのようなお方を私たちは宗祖とあおいでいるのです。


南アメリカの先住民に伝わる物語に
「森が燃えていました/森の生き物たちは/われ先にと/遂げて/いきました/でもクリキンデイと云う名の/ハチドリだけは/いったりきたり/ くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは/火の上に落としていきます/動物たちがそれを見て/ 「そんなととをしていったい何になるんだ」/と云って笑います/ クリキンディは/こう答えました/ 「私は、私に出来ることをしているだけ」と(ハチドリのひとしずく)

これとそっくりの話がお経(無量寿経)に出てくる。
それは「正信偈」の『法蔵菩薩因位時・在世自在王佛所』信偏」のなかに歌われ、その物語を学んでみよう。

昔、ある国の王が、佛(目覚めた人) に出遇った。その名はこの世の中で一番自由自在な佛という。 国王はその佛を師と仰ぎ、国を捨てて弟子となった。そして自分も佛と成り、どこにもない清らか国土を作りたいと願って、師に教えを乞うた。
師は弟子がどこまで本気なのかを見極めてから短い説法をされた。
「ある人が、大海の水を一つの器で、すべて汲み取ろうと思い立った。それがどんなにとてつもない願であっても、その願いが眞實ならば、どんなに長い時間をかけてでも、 きっとそれを成し遂げるだろう」と。師は、この弟子を法蔵と名づけられた。

法蔵は、まず国土を建立し、真の「安心」と「満足」と『意欲』
を迷える衆生に与えると誓いを立てられ、その願いを成就され、私に南無阿弥陀佛を与えて下さっている。


先月八月八日の「天皇のことば」は、ある種、人間宣言である。我々庶民は、天皇さまの事を深く考えようとしない。われわれを超えられたお方としておうやまいしている。 そのわれわれに、私も人間なのだと、語りかけられたのである。

憲法第一章は天皇に関する事を規定されている。それにもとづいて国事を行われている。天皇さまも八十二歳、体力に自信が持てなのではあるまいか。 誠実なお方だけに完壁を期されるが故の「御ことば」である。国民の代表である内閣が、御ことばに応えねばならない。

冒頭の諸行無常、云々の言葉は、三法印といって佛教の根本の教えである。是を外して佛教は成り立たない。 意訳すると、〈万物は常に変化して止まらない・いかなる存在も永遠不変の実体はない・悟りの世界は安らぎの世界である)となる。

有名なラテン語の格言に「メメント・モリ」というものがある。(死をたえず忘れるな)ということだそうである。 この言葉は何を言わんとしているのだろう。 (死をたえず忘れるな)とは、それは、死を忘れた時の生き方がかるくなるという意味である。 生と死を二つに分けて考えるのでなく、死によって生が明らかとなり、生によって死の問題が浮上してくるのである。

近ごろは、命の大切さを叫ばれながら、どうするととが大切なのか語れない時代である。 生と死を別々の事とする嵐潮にさいなまれているからである。


八月十五日、七十一回目の終戦記念日を迎える。縁あって去る六月二十三日の前日、沖縄を訪ねることが出来た。
沖縄の終戦記念日は六月二十三日なのである。 正直、私は知らなかった。私たち内地の人間は沖縄の事を本当に知らなさすぎる。

なぜ沖縄だけが六月二十三日なのか。 沖縄の面積は日本全体の一割に満たないのに、日本にあるアメリカの軍事基地の七十四%もなぜ集中しているのか知ろうとしてこなかった。 私の手元に私の新制中学時代の教科書(復刻版) 『民主主義』がある。
こんなことを学んでいたとは、全部忘れてしまって記憧がない。昭和二十三年(一九四八年)文部省から発行されたもので、 その「はしがき」に興味深い事が書かれている。昭和二十三年といえば戦争がすんで三年目で、六十八年にもなる。

民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、間違いである。民主主義の根本はもっと深いところにある。 それは、みんなの心のなかにある。』つまり政治の方法を云うのではない、みんなの心の中にあるという。つまり『みんなの顧い』を表現しているという。
みんなの願とは、『佛説無量壽経』にある法蔵菩薩の願いである。第一願に『地獄・餓鬼・畜生』のない世界を誓われている。 地獄は戦争だ。食べるものはなくなるし、「鬼畜米英」アメリカ・イギリス人のことを鬼・畜生と教えられた。
アジヤ全域に極東平和の為と称して攻めこんだ。『人間の言う平和とは』何か?問い直す必要がある。


右の言葉は、「雨にも負けず、風にも負けず」で親しまれている宮沢賢治の有名な言葉である。
彼は浄土真宗の熱心な家庭に生まれ、子供のころから親鸞聖人の教えにふれて育った。 ここにあるのは、人を先にし、自分を後にする賢治の世界観がうかがえる。

先々月頃からマスコミで取りざたされていた舛添前東東京都知事の問題、権力の座に着くと誰しもそうなるのだろうが、政治家と云うのは、庶民の為に働く公人だ。公人と云う字は漢和辞典に

『ム(私)に背く、之を公(おおやけ)と謂う』とある。

私することではない。日本を代表する大都市がこれでは、我が国は何処へ行こうとしているのか思いやられる。
他に尽くすことを第一とされる方の事を佛教では菩薩と云う。庶民に親しまれ、街かどに立って下さる地蔵菩薩。真宗門徒にとっては云うまでもなく地蔵菩薩である。

それぞれ菩薩には願いが(本願)ある。地蔵菩薩には四十八の願いがある。それらの一つひとつに必ず『私が佛に成ろうとした時に、これらの事が完成しなかったならば決して佛に成られないと誓われている』 これらの事とは、『あなたが救われなかったならば』と、私に呼びかけられている。佛になってから救うというのではない、あなたが救われなかったら佛にならないと云うのである。


何を言わんとされているのだろう。私の学生時代の先生である。 何度か講義を拝講したが、初めから終わりまでさっぱりわからなかった。 いま、この年になって先生の選集を読み返してみている。

日本に佛教が伝わって約千四百五十年余り。その間の歴史が誤解であったというのである。 世間一般では佛教と云えば、亡き方にたいして読経して追善を願う。 願いごとがあれば、おお祓いやお浄めと一玄ったように考えられている。かなわなかったら、「神も仏もあるものか」と、切り捨てる。日本人の宗教観はよいことねだりの宗教で、西行法師の『何ごとのおわしますかはしらねども、かたじけなさに涙こぼれる』と、歌ったように何にで、も頼みごとをする姿がある。おおらかなようにも思えるが如何なものだろう。

誤解と云えば『信心』と云う言葉に対しても誤解が多い。 信心をすれば思い道理になり、道も開ける。と云った理解が多い。

本来、『信心』と云う言葉は、『 清らかに澄みとおったこころ』である。親鸞聖人にとっての信心とは、佛の所有するもので佛の智慧である。佛の智慧を頂くと人間の実相(罪悪性)が明らかとなり、救いが成立する。
その具体的な姿、行為が、お念佛を称える事である。お念佛を称えて救われるのでない。

お念佛を称える事こそ佛からの御慈悲であり、『 澄浄なこころを』賜っているのである。


私たちは形にとらわれる。つまり形あるものが確かなものであり、 形のないものは存在しないと信じきっている。はたしてそうだろうか。 形あるものは必ず壊れる。形なきものは壊れない、という事が認められないのである。

私たちは目で見て手で触って安心する。そして、存在を確かめる。 その手と目が不確かなことには気付けない。例えば、高価な品物を貰った時は嬉しいものである。 だが、時がたつにつれて如何だろう。頂いた時の真心が失われないだろうか。

形が無意味と云っているのではない。形があるとそのものにとらわれて、その背後にあるはたらき(こころ)が見えにくくなるのが実情である。

佛教には、有相(うそう)無相(むそう)という二つの考え方がある。 有相とは、物事を実体的にとらえる考え方で、誤った考え方である。 無相とは、全ての存在は空であり一切のものには実体はない。 と、つまり歎異抄と云う書物に、佛に大・小とか分量を定めると云うが誤りであると志めされている。

そしてまた、お経に阿弥陀佛の姿が描かれているが、それらは私たちの迷いの世界に、真実の世界から人々を救うために、目に見えるような仮の形を表して、真実を人間のところで明らかにしようとされている姿である。 親鸞聖人の言葉に「法身(真実のはたらき)はいろもなし、形もましまさず、しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり」とある。


「恩」と云う言葉、もはや死語になってしまった? その証拠の一つに近ごろは、年齢を数えるのに、何時のころからか数え年で云わなくなった。
私の世代は、生れたら一才で正月を迎えると一つ加える、 数え年が当たり前であった。そこには母親のおなかの中にいるときからの「いのち」のいとなみを教だたものであろう。自然とご恩ということがそなわった。

若いという事はすばらしい。前途洋々、だが、自分中心に陥りやすい。
また、年齢を重ねると云うこともまた、ありがたい。
経験が人生の深みを醸しだす。しかし、ともすれば、そのことが誇らしげになりがち、それが若い人から嫌われる。

『平家物語』に『まず世に四恩候。 天地の恩、国王の恩、父母の恩、衆生の恩これなり』とある。 平家物語は云うまでもなく、平家一門の栄華盛衰の軍記物語り、言葉使いは時代がかっているのでなじみが薄い。この四恩を、私は次のように頂くが如何なものであろうか。

昨今は「量ること」を数字で表すことが圧倒的に幅をきかせている。
視聴率、経済成長率、売上高、偏差値、等々、数値で表される世界は、同じものが二つあることが前提に立うてうくられた比較の世界だ。 くどいようだが、人間には、同じ人は二人と絶対にいない。
だが、一人で孤立して存在しているのではない。 私の生きている事実は、自分以外のそれぞれと関係性を持って生きている。
「量りえない」もの、それが「いのち」だ。「いのち」が私として表現されているのだ。


『最近、本屋さんの店頭に佛教に関する本が目につくようになりました。
活字離れを叫ばれている昨今、何はともあれ喜ばしい事です。
以前は観光寺院のガイドブックがおもでしたが、今は、専門店にあってもよさそうな本が平積みされ、よく売れているそうです。

著者は、僧侶とは限りません。 精神科医からコメンテータに、お笑いタレントまで多士済々。一宗一派にとらわれないユニーク(独特)な内容で、本の題名も奇抜です。 例えば『とうせ死ぬのになぜ生きるのか』『食べない死なない争わない』『ブツダも笑う佛教のはなし』といったあんばいです。
しかし、自分の学びを出版されるのですから、それなりに熱心に時間をかけて学んでくださっています。 どの本も読んだわけでありませんが、ほぼ『いのち』『生きる』という事が中心課題のようです。

『いのち』について考える場合、ややもすると、『自分のいのち』と、いのちを自分の持ち物といった、 自分の価値観で思考しがちです。そこに現代人の大きな間違いがあります。
佛教ではいのちのはたらきを『光明無量』『寿命無量』と教えています。
このことは、すべての存在に、無量の光明と無量の寿命のはたらきを願われているのです。 私の賜っているいのちは、自分の都台や、価値観を超えたはたらきです。

私のいのちの働きは、『光明無量』『寿命無量』で す。私を、生かそう生かそうと働きづめです。


仏壇と塵箱を見れば、その家の家風が分かる

ある冊子を読んでいたら、右の言葉に出会いドキッとしました。ドキッとするのは、我が家の塵箱がはたしてどうなれているだろうかと、一瞬、思ったからです。 誰かの眼にふれたら恥ずかしい事このうえありません。
仏壇と塵箱を一緒にするとは、とおしかりを受けるかもしれませんが、何かいい当てられた言葉だとは思いませんか。
近ごろ、どこのご家庭も、もので物であふれかえり整理整頓の出来ないのが実情です。いくら便利で快適な部屋でも整理がつかず乱雑なことでは、生活の乱れそのものです。 掃除が怠りがちに成りますとゴミが目につきます。
極端なはなし店先や、仕事場に蜘妹の巣がありますと、どうでしょうイヤな感じがします。

私の駆け出しの若かったころ、お荘厳の事で口やかましいご住職が居られました。そのご住職がお越しになるのが何か恐ろしく、逃げ出すわけにもいかず緊張したものです。 いつも教えられたことは、住職とは、他の事は何も出来なくてよい『本堂の御給仕が正しく出来る事』唯、そのこと一つ。が、口癖でした。

お給仕とは、お華を立て替えたり、お掃除することも含みますが、ここでおっしゃるお給仕とは、「朝のお勤めを欠かさない」と云う事です。 簡単なようで難しいことこの上ありません。
お勤めをすることによって、経本(お聖教)にふれます。 そこから教えに出会います。 出会った教えが生活の拠りどころとなり、お念佛が自然と申せます。


ご院さん、八十すぎると一日が長ごうて、一年が短こうなります』と、どなたが云ったか忘れたが、聞かされた当時は一日が長かったら、 一年も長いのが当たり前なのに、変な話と聞き流した。が、段々その通りになっていく自分に、成るほどと頷かされる今日この頃である。

私たちは、『まず私がいて 私が生きている』と思いこんでいる。それが自我の束縛である。しかし実際は、私たちはご縁のままに 『生かされている私』である。この『命(いのち)』のはたらきを発見されたのがお釈迦さまである。それが縁起の道理なのである。
私たちは、老化を何とか防ごうと努力する。テレビのコマーシャルのように行けばよいが、そうは行きません。 健康食品が望まれるのは、病気になることを恐れられているからであり、死を遠ざけて長寿を祝いますが、果たしてこのことが正しい行いなのだろうか。

科学技術は、私たちの日暮をあらゆる面で快適にし、どこまで発達するのかわからない。その結果、自身を問うことなく、すべての問題を科学的理性で解決がつくものと錯覚し、大きな間違いをしでかすように思えてならない。
ご縁のままにしか生きられないし、ご縁のままにしか生さることが出来ないという『縁起の道理』によって命の事實に目覚める。 そのことが人生の目的である。


霜月十一月二十八日は、宗祖親鸞聖人のお祥群月ご命日である。真宗門徒はこの日を中心にして、毎年、稲穂の色づくころから初冬にかけて報思講の季節を迎える。
正行寺では、例年十一月十日(火)~十一日(水)の二日間勤まる。(中のページにご案内) 万障繰り合わせてお参りいただきたい。
私の子供のころは、『一年は報思講に始まり報思講に終わる』と、云われたもので、日が近づいてくると何か緊張感がただよい、ピリピリしたものである。 準備はご門徒さんがやって下さるのだが、それまでに用意しておくことが山ほどあり、『今年はこうして迎えられるが、来年はどうかなァ』と、母親の口癖であった。 その母の年をとうに越してしまった私、その感慨ひとしおの昨今である。

親鸞聖人は、いつも
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念佛のみぞまことにておわします』(歎異抄後序)と語っておられたという。

煩悩具足の凡夫火宅無常の世界とは、云うまでもなく、私たちの日常生活の事である。まことは、科学的なまことを云うのでなく、生活を通した「まこと」をいう。 生活を通した私のまことは自分の都合しかありません。誠に恥ずかしい私でしかありません。
お念佛を申すしか他にありません。


『菊花かおる』と云った季語言葉をあまり聞かなくなった。

年中、菊の花は花屋さんの居頭に並んでいるし、旬がいつなのか分からなくなってしまった。 菊の花が咲き誇るころから、初冬にかけて真宗門徒は、親鸞聖人を偲ぶ法会、報恩講の季節を迎える。
佛教は普通、お釈迦さまから始まったと考えられている。そのことは間違いないが、親鸞聖人はそうはお考えにはならなか った。

佛教は『阿弥陀さまから始まった』とお考えになり、阿弥陀さんが人間に生まれ変わられたのがお釈迦さまだといただ かれました。 ですから阿弥陀さんとお釈迦さまは一体なのです。 そのお釈迦さまは、『縁起』という道理を発見され、それによって覚りを開かれ、 佛陀(目覚めた者)となられました。

『縁起』とは、「さまざまな縁の集まりによって起こるもの」と云う意味で、 そのことを『因縁所生・いんねんしょしょう(すべての存在は、さまざまな因縁によって生じている)』と説かれています。 私たち人間は、自分の思い通りになることが幸せだと考え、何とか自分の思い通りにしようと、頑張ります。

それを『自我』と云うのです。ところがその『自我』なるものは、本来ないものだそうです。 あるのは、もろもろの因縁のままに『生かされている私』が在るという事です。 日常言葉で云いますと『ご縁』があったということです。 ご縁をいただいて生かされているのです。私がご縁より先にいるのでなく、『ご縁が私となっている』のです。


私の予定表(手帳) の最終べージに年齢早見表なるものがついている。 何かと便利なものでよく利用する。一列目は0才から三十四歳まで、二列目は三十五歳から六十九歳まで、三列目は七十歳から百歳となっている。百歳以上はない。 私は三列目の下から十番目ぐらいに位置している。

近ごろ手帳に予定を書き込こみながら、この予定に振り回され、或いは、これをこなすのに、追われる人生であったなあーとつくづく感じる今日この頃である。
わたし達の国日本は、戦後昭和三十年ごろまで貧しい国であった。その国が今や、東南アジアの国々で、豊かで、便利で、快適なこと、比類このうえない国となった。 このことは、国民全体が戦後の復興、何よりも貧しさから脱出、経済成長することが第一の目的に置いたことにある。

「経済」という言葉の出典は、「経世済民」という中国の古典に出てくる言葉だそうだ。 「世を治め民の苦しみを救う」という意味である。 今この「経世済民」と違った方向に向いていやしないか。
限られた資源と富の配分と運用を意味する「経済」は、個々の財テクに振り回され、浮き草のような戝を手放さないと、やっきになっている。 その姿が日本の持っていた共同体の崩壊にみられ、誰もが責任を取ろうとしない時代となった。
共同体とは、皆が支えあう姿である。個は、網の結び目で、他の「いのち」のはたらきと結ばれているのである。 ありとらゆるものとの関係性を持っているのである。
個は尊い。だが支えられている事の大事さを忘れてはならない。


七十年前の八月十五日の正午、私は、大阪東成中本小学校の学童疎開の皆さんと一緒に、玉音放送を聞かされました。
その時、大人たちも重大放送であり、初めて天皇さまの声に接しるという事で緊張を隠せなかったようです。
ところが正直、雑音が多く言葉も難しく私ら子供には全く理解できなかった。
しかし、その時間帯を機に、いつも飛来していたアメリカの飛行機がピタット飛ばなくなり、戦争に負けたことを実感させられました。
その玉音放送を直接聞いた世代も、益々少なくなり、戦争の出来る国に成りつつあるように思えてなりません。 先日の朝日歌壇に『戦中も平和、平和と聴かされき政治家の言う平和とは何か』と。 「敗戦」を何時の間にか「終戦」に置き換え、これまで我が国の政府は、国民にどれだけ戦争の真相を、ことに我が国が隣国、韓国、中国等、アジア各国に対して何をしてきたか、ほとんど教えなかった。 『自虐史観』(じぎやくしかん・自分を責めさいなむ見方)と、軽蔑してきたのです。
だから隣国から、歴史認識を間われるのです。

蒋介石総統の抗戦勝利に際しての演説に『われわれは一貫して、正義に背いて戦いを始めた日本軍閥を敵とし、日本人民を敵としないと声明してきた。
しかし、われわれは決して報復を企図してはならない。殊に敵国の無辜(むこ・罪のない)の人民に侮辱を加えてはならない
』と。
我が国は中国に宣戦布告なしに侵略し、十五年間中国本土を戦場としたのである。それの賠償請求を放棄され、日本の復興が出来たのである。そのことを忘れてはならない。


古式に乗っとった宮廷絵巻のような法要は、もう時代にはそぐわない。それより聖人の九十年のご生涯、獲得された『真実の信心』を後世に傅えようとご苦労された姿を、これから迎える法要にどう表せるか?この取り組みが私の人生最後の課題であり、務めと考えている。

佛教の目的は成佛にある。この私が佛に成ることである。お釈迦様と同じ覚者(覚りを開く)に成らせていただくのである。 修行してそれを追求する。だから佛教は修行につきると言われる。

親鸞聖人も二十年間比叡山で血みどろの修行に身を投じられたのはその為で、まさに命がけの格闘であった。 難行苦行にうちこまれる親鸞聖人であったが、尽くせば尽くすほど迷いが深まり、そのありようを法然上人に間い、 百日間の聞法の末、修行を通してお釈迦様に近づくのでなく、弥陀の本願を勧めるお釈迦様に出会われたのである。 本願を説かれているお経(佛説無量寿経)に出会われるのである。 私の人生八十年の問、多くの方々のお育てを頂いた。

住職として当然の務めである『朝のお勤め』、よほどのことがない限り、 休まずお給仕させていただけたのも今は亡きご門徒のお蔭であった。照る日も降る日も、台風のような嵐の日でもお参り下さった。 そのお参り下さっていた姿は、今思うと阿弥陀佛の応現の姿であった。有り難い事である。
いつまで生きても退屈しない。 いつ死んでも後悔しない』と
念佛申す以外に何もない。
何としても、そのご恩に報わねばならない。


先月のゴールデンウィークも過ぎた五月十八日~十九日両日、二年に一度の研修旅行を開催できました。
まず参詣した東本願寺は再建以来百年目の、両堂・山門の修復も終わりに近づき仮屋根の撤去が始まっていました。
そして訪れた大徳寺・高桐院の庭園は昨夜来の雨上がりで、いつもと違った風情があり去りがたいひと時であった。 ホテルに向かう道すがら賀茂川を渡るとき、ふと、八百年前、親鸞聖人も道は違ってもこのあたりを歩まれ、養和の大飢饉のありさまをご覧になられたのだろう。
その様子が、ご持語(ごじごん・いつもおっしゃられていた言葉)となって今日まで伝えられている。

【某(それがし)親鸞開眼(しんらんへいがん)せば、
賀茂河にいれて魚(うお)にあたうベし】と云々。
(改邪鈔)

養和(一一八一)の大飢饉と云うのは、源氏と平氏による戦乱の最中に起こった飢饉。 前年から極端に雨が降らず、干ばつによる農作物の不作で、西日本一帯が飢餓状態になり、多数の餓死者がでた。 京都の町は臭気にみち、惨憺たる状況で遺体を賀茂川に捨てるため、川の流れが堰止まったと言われている。
 そのような状況を、九歳になられていた親鸞聖人はご覧になっていたので、 右のような言葉が何時もおっしゃっておられたのだろう。 この言葉からうかがえるように、宗祖の生活信条は、生きるも死ぬも、あの人たちと同じ処に立って生活したいのだ。 臨終の善悪なんて全く問題にしない。弥陀如来の本願を(真実信心)を頂いて生きる以外にないのだと。


親鸞聖人の教えは、お念佛を称えて、そのご利益をいただく教えではありません。 阿弥陀さんの願い(本願)に私たちは救われるのです。 救われると云っても、自分の思い通りなることではなく、阿弥陀さんの願いをより所にして生きるのです。 阿弥陀さまの願い(本願)とは、先ず、生きとし生きる全ての生きものに、区別なく平等に尊重される国をつくることです。 それが浄土です。 なぜ阿弥陀さまが、そういう国土建立を願われたのか。 それは私たちの現実が、お金に縛りつけられ、自分を傷つけ他者をも傷つけてしまうありさまです。 またある時には、権力に媚びへつらい多数に同調し、自分の命も他者の命も、ないがしろにしてしまう現実があります。 だから『阿弥陀さまの願い』から、私たちに、あなたの現実に満足ですか、と、間われつづけているのです。 憲法前文の『われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』と謳われています。 この前文と阿弥陀様の願いが響き合っていると思いませんか。 今年は戦後七十年。終戦の時は小学三年生でした。 ですから戦争は間接的ですが、B29や艦載機が上空を飛び交う姿を見て育ちました。 そして今日までの七十年間、私たちの国は、戦争で人を殺すことも、殺されることもなく過ごしてきました。 このことは、ものすごいことです。今の現実は、この国の『かたち』を決める憲法が蔑ろにされ、戦争が現実味をあびる昨今です。 阿弥陀さまの願いに背を向ける姿です。


先日の国会審議(参議院)のテレビ中継を観ていて驚いた。自民党女性議員の『八紘一宇』という言葉の使われかたである。 時代錯誤というか、戦後生まれの議員がこの言葉の背景も考えず使うのは歴史認識の甘さを指摘されても無理はないと思う。 この言葉は、昭和十五年(一九四O)頃から盛んに使われるようになり、我が国の侵略戦争のスローガンとなった言葉である。 辞書によると、『字は、屋根の意を表し、八紘は、東・西・南・北とその中間で四方八方、天下を一軒の家のように統一すること』とある。統一するのが日本というわけである。 昭和十五年と云いますと、十二年に支那事変が始まり、「どこまでつづくぬかるみぞ、三日二夜も食く無く……」とうたわれたように泥沼の戦争へと進み、ニッチもサッチモいかない状況 に陥っているのに、国民の厭戦気分をはぐらかすかのように、日独伊三国同盟締ができ、世界大戦へ突き進むのである。 そして、この十五年は紀元二六OO年。神武天皇が橿原の宮で即位。『八紘一宇』が唱えられたとし、それが紀元の始まりだと創り上げられた。 このような現実離れした、誇大妄想的な理想に当時の国民はついていかざるを得なかった。


NHKの連続TV小説『マッサン』を毎朝、楽しませてもらっている。
ちょうど私の子供のころの『欲しがりません勝までは』の時代背景が演じられており、哀愁を感じるのである。 それにしてもニュースを開いていて思うのだが、今の政権は、閣議だけで憲法解釈を自分らの思いのままに拡大解釈し、憲法九条の『歯止め』を空文化してしまいました。 憲法には集団的自衛権が認められているのだと、今までの解釈を変更し、戦争の出来る国にするという。
憲法前文や九条の条文をどう読んでみても、そんな解釈はどうして出来るのか。 法律学の常識では、『憲法』は内閣を縛るもので、『法律』は国民を縛るものだそうだ。
憲法の主語は『日本国民は』となっている。国の在り方を決めるのは『日本国民』だと書かれてある。 昨年末の抜きうち選挙で国民から信託されたのだから、何をやってもかまわないでは、横暴そのものというものだ。
今年は戦後七十年。 その間、日本国民はイラクに自衛隊を派遣したとしても、戦争で人を殺すこともなく、
人に殺されることもなく、今日までやってこられたのは、憲法九条あればこそ七十年間も戦争していない国であった。 私たちの国は素晴らしい国だ。永遠に戦争のない国であらねばならない。 お念佛を申し、手に数珠かけた日暮しのする私たちは、二度と七十年前のような、『子孫に戦死者を出させるような蛮行』を繰り返してはなるまい。
戦争の悲惨さを間接であるが体験したものとして、非戦を願っている。


先日の朝日・天声人語に『日進月歩のネット時代、若者たちは育つ。』{『今までは、電話なんかで済ませるな』今では、『せめて電話で話せ!』}と。 私の携帯もかなり年季もので、ぼつぼつスマホに替えねばと思います。が、これまた使いこなすのに私の年代では一苦労だと思うと後ずさり。 パソコンを使うのにウロウロしているのが実情です。
阪神・淡路大震災が起きて二十年。時間の過ぎるのは本当に早い。当時、東本願寺の大阪地区の役員をLていたので神戸のお寺さんの被害対応にあたった事が思い出す。 今のように携帯もない時代、通信網が切断され、交通機関は被害甚大、道路網は寸断され大渋滞で動けない、 目的のお寺に着けたとしても何時着けるか分からない。そんな折、一番の頼りになったのはバイクであった。
近代的でないようだが、軒先まで行け、顔を見て話が出来、状況の確認が正確にできる、最高の手段であった。 また、荷物はたいして運べないが手荷物よりもかなり多く運べ早く届けられる。若手職員さんには一日、大阪~神戸間を、何往復もしてもらいかなりの成果をあげていただきました。 その災害の街へ昨年末に訪れた。
今は、以前よりも素晴らしく復興した感がある。 それを近代化したと説明されたが、どうもしっくりこない。あまりにも整いすぎて落ち着かない。 なぜだろう。人間の生活空間には、古い建物もあり新しいのもあって、調和するのではないかと感じた。


お健やかに新春を迎えられましたことをお慶び申しあげます。

私の予定表(手帳)の終わりのぺージに年間早見表がついています。
平成二十七年生れのO歳から~大正四年生まれの百歳までを、一列三十五歳で、三列に分けられていきます。 私は、三列目に位置し上に登りつつあります。

どうせ死ぬのになぜ生きるのか』という、ドキッとする題名の本を手にしました。 奈良県出身のご精神科医でテレビのコメンテーターでもある名越康文氏の著書です。 この書名は、誰にも言い当てられた『人生の根源的欲求の問い』です。 この問いに応答しようと誰しも頑張るのです。しかし達者で、長生き、そして経済的にいくら恵まれても人間の価値観では 『人生の源的欲求の問い』には答えてはくれません。

人間は百パーセント死にます。だから、私は堂々と死んでいけます、と納得して死んでいけなかったら、折角の人生台無しじゃないですか。 『死ぬ』ということと、『死んでいける』とでは大違いです。 以前、警視総監と云うおえらい方が『人間、死ねばゴミになる』という本を出されましたが、これでは投げやり的な話で、無責任なことです。 このことに応えるのは、佛法しかこたえてはくれません。 人生は長さだけではありません。幅(ひろさ)もあれば、深さもあります。その長さは、個人の一生。 その幅さは、私の生活。その深さは、長さ、幅(ひろさ)のよりどころと成って下さる佛さまの願いです。佛さまからいただいた(いのち)です。 こうして私の人生、お念佛を申しながらの歩みは「無碍の一道」です。
比べることも、邪魔されることもない人生です。


今年も残り少なくなりました。光陰矢の如しとはよく言ったものです。 冒頭の言葉は、最近出会った何だか難しい言葉です。 私たちはお寺での法話を聞く場合、『ためになる話を聞きたい』 『参考になる話であった』とか、『今日の話は何だか分からなかった』というように、佛法を利用するような聞き方をしている のではないでしょうか。 『生活の中で念佛する』とは、念佛を手段にして、悩みをなくそう、都合よくなるようにしよう。と、いった姿です。 なかには、念佛ぐらいなら称えようと思えば何時でも称えられると、おっしゃる方もおられます。その場合、自分の称えもの として、念佛を自分の持ち物にされています。そうなりますと、 称える動機は不純なものになります。救いにはなりません。なぜなら、そこには佛様不在ですから。 『念佛の上に生活がいとなまれる』とは、念佛は、いつでも、どこでも、誰の上にあろうとも、佛さまからの先手のはたらきかけです。それを私たちは、信じてから念佛称えましょうと、 念佛を私有化、私の念佛にしてしまっています。南無阿弥陀佛(お念佛)は、私の身体を道場としてはたらいて下さっているのです。


霜月・十一月は真宗門徒にとって年中最大の佛事、報思講の勤まる季節(とき)である。 報恩講とは、くだけた云い方をすれば、『親驚聖人を偲ぶ夕べ』とでも言えようか。 正行寺もご案内の通り十一月十日~十一日の二日間勤まる。 勤まる二週間ぐらい前から準備に取り掛かり、 ご門徒のお手伝いを受けながら仏具のお磨きや、立華(お花立て)の用意で大忙しである。  近ごろ自分と同期の住職さんが、お沖土に還って行かれる。 私も来年の報思講に会えるかどうか、今年が最後のご奉仕と務めさせて頂く。 そのように心に決めると緊張感もわき、初心に帰り、明るい感じで準備にいそしめる。  佛教は、この私が『佛に成る』教えである。成佛という言葉が日常に使われているのがそれである。 成佛とは死ぬことを云うのではない。生きることと死ぬことを別々に考えるのは『迷っている』証しで、 『生死・しようじ。せいしと読まない』は一つの事柄である。 また、『私がいて、私が生きている』と考えるのも間違いで、実際には、ご縁のままに『生かされている』のである。 歎異抄に、『本願を信じ、念佛もうさば佛になる』と語られている。 本願のはたらきが『如来大悲』であり、そのはたらきは、わたしの心臓の鼓動のようである。 私の呼吸が止まるまで生かそう生かそうと、働き通しではたらいて下さる。 その働きが、南無阿弥陀佛であり私の言葉にまでなって下さっている。 そのお念佛を申さずにはおれない。


小学四年生の詩。(それからの納棺夫日記より)
ぼくは今日学校の帰りに/トンボをつかまえて家に帰うたら/お母さんがかわいそうだから/はなしてあげなさいと言った/ ぼくはトンボをはなしてやった/トンボはうれしそうに空高く飛んでいった/それから台所に行くと/お母さんがほうきでゴキブリをたたき殺していた/トンボもゴキブリも昆虫なのに/
 このような姿はどこの家庭でも起こりうることである。子供の思いは、トンボもゴキブリも同じ昆虫に見えるのに、大人はそうはいかない。 自分の都合で判断するからである。伝染病を媒介するものと決めてかかうて排除しようとする、一匹見つけたら、何十匹もいるというのに全くの徒労と言わぎるを得ない。 子供のころは、アブラムシとかいって夏の間は共存していた。
 今日、日本人のお腹の中には寄生虫をわかしている人は殆んどいない。私の小学生のころ検便をさせられ、回虫駆,除の薬を飲まされたものである。昔読んだ本に(空飛ぶ回虫)に寄生虫を駆除した結果アレルギ患者が生まれ出したと幸一聞かれていた。 さもありなん、アレルギ症状に苦しんでおられる方々の多いこと。 それならば寄生虫をお腹に宿せばと思うが、そう簡単でないらしい。
 現代人はヨーロッパ思想にかぶれているため、人間以外の他の生き物は人間に奉仕するものぐらいにしか考えていないじ倣慢としか言いようがない。お釈迦様は、あらゆる生きとし生きるものを『同等のいのち』と、論破されている


今年の夏休みに入って間もなく、長崎の佐世保で凄惨(せいさん)な事件が起こった。
人間性を見抜かれた親鸞聖人の言葉に『さるべき業縁(ごうえん)のもおせば☆、いかなるふるまいもすべし』と述べられている。(歎異抄十三章)
 その折、空しく感じたのは『命を大切に』という教育を長年勧めてきたがそれが伝わっていなかった。という教育者の発言であった。

命を大切にというが、どうすることが命を大切にすることなのか。問い直してみる必要がある。世間の価値観や学校教育の方向では『命の事実』に応答(こたえ)られるものではない。 他の命といったように対象化した命は、生物であって、物である。
人間をモノ化するところに現代の課題がある。 『いのち』を、漢字に置き換えると『』・『生命』・『』・『壽命』等になるかと思う。どの漢字を眺めてみても『いのち』は『自分のものではない』ということを表している。 私有化出来ない。与えられた『いんち』であるはずだ。『いのち』というのは、私を私たらしめている『はたらき』のことをいう。

 例えば、今日まで私の心臓は、何回鼓動しただろうか?私が愚痴ったり、やけを起こしても、心臓は鼓動するのを止めたりはしなかった。 どんな時にも打ち続け、飽きもせず、愚痴も言わず、同じことを繰り返し、それでいて二度とない瞬間を刻んでくれる。この世の縁尽きるまで。 『いのち』は生かそう生かそうとしている者のものである。
☆【業縁・私たちの行為によってもたらされる結果】をいう。


お経には多くの譬え話がのっています。『盲気浮木』もその一つです。

『とある海の底に自の見えない一匹の年老いた亀がいました。 鶴は千年、亀は万年と諺にあるように、もう何千年も生きているこの孤独な老亀はほとんど動くことが出来ませんでした。
それでも百年に一度だけ、亀は力をふりしぼって海面まで浮かび上がってくるのです。 同じ海の上には一本の木切れが浮んでいて、ちょうど亀の頭が入るくらいの小さな穴が開いているのです。
もし亀が百年に一度のその日に、たまたま浮き木に巡りあい、ちょうど穴に首を突っ込むことができれば、波に乗って遠く離れた仲間のもとに帰れるんだけれど・・・』(涅槃経)と。

このような話を聞かされると現代人は何と『荒唐無稽』なと一笑に付しますが、人として生まれてくるということは、人間の考えをはるかに超えた、これよりもずっとずっと難しくて、 不思議なことなんだと、お釈迦さまはおっしゃるのです。先日もTVの報道番組でご覧になられた方もおられるでしょう。生まれて聞のない、まだ目も見えていない赤ちゃんが、里親斡旋のNPO活動の世話で裁判所の正式な手続きのもと、ある夫婦の下に縁づいてゆく姿が報道されていました。
生みのお母さんには、手放さなければならない複雑な理由があるのでしょう。涙を誘う内容でした。 まるで広大な海のように無数にあるご縁の中から、私が私としてこの世に生まれてきたことが『有り難い』(有ること難し)なのです。


佛教に『身土不二(しんどふじ)』という、言葉があります。
意味は、私そのもの(身)と、私を育んでくれている環境(それを土という)は、私を構成するそのものであって、切り離す ことはできない、という意味です。 ところが現代人は理性的に物事を考えます。自己中心で、自分の都合ばかりを追い求めた生活をしています。
ですから平常 の日暮の中で、自分の力量を超えた事柄に出会っても、なかなか素直に頂くことができないのです。 例えば、『不思議』という言葉使いでも『不審』といった意味で使われていることがよくあります。科学(医学)の力は万能ではないのに、何とでもでなるように、勘違いしていませんか。
私たち人間の身体は本当に『不思議』ですね。うまく出来上がっています。この身の『不思議』さは、出来上がっていると いうことより、【頂いていている】と云うべきでしょう。、ところが、頂いているとなると、自分のものという思いが先走って、病気になっても治るのが当たり前で、治らないのは、治療に欠陥があるのではと、不審を抱いてしまいます。いくら科学(医学)が進んでも『治る病気は治るし、治らない病気は治りません
身体は頂き物と書きましたが、『預かりもの』と、捉えるのが本来なのでしょう。 あるいは借りものなのです。 借り物、預かり物はお返しするのが道理です。 お返しした相(すがた)が『死』ということであります。
このような大きないのちの働きを『身土不二(しんどふじ)』と教えられているのです。


子供のころ夏ともなると、きもだめしや幽霊の話をよく聞かされたものである。テレビも何もない時代、夕涼み時の楽しみの一つであった。
 金沢の某寺に『幽霊の絵画』が所蔵され、「虫干し会」の折に見せて頂ける。例年、怖いもの見たさで賑わうとのこと。 幽霊に三つの特徴があるという。日本の幽霊は若い女性の姿をしているのが一般的であろう。 三つの特徴の一つは、おどろ髪を後ろに長くひているということ。
二つめは、両手を前へ垂らしているということ、三つめは、足がないこと。 後ろ髪を長く引いているのは、済んでしまってどうにもならないことに執着し動きが取れない状況を表している。
 両手を前に出しているのは、未来に向かってああでもない、こうでもないと取りこし苦労している姿を云うのだそうだ。 三つめの足がないのは、生きていると云うのは今ここの一瞬でしかないのに、その今を、過去へ未来へと飛んでしまい、今ここに足が地についていない状態を指すのだという。 幽霊の絵を見に行った二人のつぶやきを聞いた。

 一人のお婆さんは、うらみつらみのすさまじい眼をした幽霊の絵を見ながら『ウラの嫁の眼だ!』もう一人は、『ウラあんな眼で嫁を見ていたかなあ』とつぶやいた。「ウラ」というのは金沢弁で「私」のことを云う。
一人は『嫁の眼』と見、もう一人は『私の姿』と頂いている。

肉眼は他の非が見える。佛眼は自己の非に目覚める。


昔のお寺での法話は、右側の聴衆は涙をながし、左側の方たちは、笑いながら聴聞したという。真偽のほどは別として、話 し上手をこのように譬えられたのであろうか。落語や、漫才の話芸の源流は、お寺での 説教が始まりと云われる由縁である。 ところが、近ごろのお寺での法話は『仏教語は難しいし、何を言わんとされているのか、感覚的に理解出来ない』との批判が 多いと聞く。
 さもありなん。仏教語は難しい。話しする方も仏教語を、生活感覚で理解せずに、知識として喋るものだから、聴衆と遊離しがちである。また、聞く方も、自分は聞けば理解できるものと決めてかかっている。
互いに、何か抜け落としたものを持っ ているのである。その落としたものとは『人生は、問われている存在なのだ』ということ。そのことと関係のない聞き方をし てしまう。問題意識を持つことである。自分の人生に問題があるのだという姿勢が(求道心)が大切なのだ。知識を求めよう とするのではない。
頓智の一休さんの話に魅かれるのは『人生は、間われる存在』 どいう問題意識が語られているからである。一休さんの辞世の句に。

借用申す昨月昨日返却申す今月今日 借り置きし五つのもの四つ返し 本来空にいまぞもとづく 『借り置きし五つのもの』とは、地・水・火・風・空c この内、地水火風は人間の身体の構成をいう。
この四つは返すのが道理である。


四月八日は、お釈迦様のお誕生日です。正行寺では、花み堂を境内にお飾りしてお祝いします。ご参加ください。
お釈迦様は生まれられるなり、七歩あゆまれて天上天下、『唯我独尊』とおっしゃられたと、佛伝は伝えています。そんな荒唐無稽なこと、と現代人は思われるかも知れません。
このことはそういった現象を言うのではなく、教えの内容なのです。
 私は、比べる必要のない、また、他の誰とも代わるわることの出来ない、ただ、一人として誕生したのです。ですから、私たち一人ひとりは、それぞれ尊いのです。 しかし同時に、私が生まれたということは、他の人々と、さまざまな関わりをもって生きて行く者です。その関わりの中で、常に自分と周りの人と比べて生きねばならない、厄介な問題を抱えています。 お釈迦様は、他の人々との関わりの中で陥ってしまう生き方を、三つの迷い(地獄・餓鬼・畜生)として教えて下さいました。
 今日の言葉にしますと、『勝ち組・負け組』とでも言いましょうか?私たちは、そのような迷いの在り方の中で、かえって自分の尊さが分からなくなり、そしてまた、周りの人々の尊さをも見失ってしまっているのです。お釈迦様も、さまざまな関わりを生きて行く中で、さまざまな出来事に出合い、人間何のために生まれ、何のために生きて行くのかという問題に直面されました。『私の人生において、この上なく尊い者とならなければならない』という言葉で確かめられているのです。


上の言葉を訳すと『自然はいのち』とでも表現するのでしょうか。南国スリランカの合言葉です。 人類は自然の一員であり、自然と互いに共存しあった姿がスリランカには満ちあふれています。従って、人々は自然を壊せば、いずれは人間も破壊されることは当然だと考へています。 これは、人間と自然を切り離し、自然界を人間が征服するものと見るヨーロッパの考えとは対照的です。 スリランカは、自然に満ちた緑豊かな美しい国で、国土は北海道の約8割程度の島国です。人口二千万人位で、小さな国ですが、自国に誇りを持った国民性が彷佛としています。 国民の七十パーントが敬虔な仏教徒です。その方達と語らっていますと、自分の生活環境について、こんなことを語ってくれました。 『一人で出来ることなど知れているけれど、一人がなさなかったら、何事も悪くなってしまう』と。例えば、家の周囲の清掃一つをすることによって、隣の人も、気持ちよく過ごしてくれるし、互いに影響し合える。 この考えの根底には、佛教の『縁起』の考えがあるのではと気づかされました。 またこんな事にも出会いました。車やパスで寺院の前を通るとき、車を降りるわけにいかず車内から合掌礼拝している、素朴な庶民の姿に何度も接しました。その姿に出会ったとき、五十何年も前の学生時代には日本にもそのような姿がありました。 当時、東本願寺の前を市電が通っていました。その車窓からご本山を拝んでおられる姿に幾度も接したものです。今は如何でしょう。


不撓不屈(ふとうふくつ)
小野田寛郎さん(和歌山県出身)が先月十七日、九十一歳の生涯を閉じられました。思い起こせば、氏は、一九七四年(昭和四十九年)フィリピン・ルパング島での戦後二十九年間の戦いから生還されました。
帰還するにあたって、大切に保管されていたのでしょうヨレヨレの軍服に身をまとい、軍刀には、白の布で包み軍人としての凛とした姿で、関係者、報道陣の前に身をさらされました。
その姿に私は、お釈迦様の『苦行像』を思い浮かべました。眼は深く落ち込み、あばら骨は露わで、これ以上痩せられない人間究極の姿。道を求めて歩まれる求道者の厳しい姿にふれさせられました。
不撓不屈』の精神力のお持ちの方で、逃げ隠れされていたのでありません。日本の敗戦を信じず、二十九年間も山中でゲ リラ戦を展開されていました。当時の傍観者からは日本軍国主義の犠牲者と見られがちでしたが、当のご本人は、真面目に軍人精神を堅持されたのであります。
不撓不屈』の四字熟語を、頼まれれば好んで揮毫されていたようです。どんな困難に直面してもくじけない精神の持ち主、それを支えたよりどころは、どこから生まれたのでしょう。 それを伺ってみたい思いです。
そのあたりの事を、昨秋に出版された『いきる』に書かれているかもしれません。帰還されてからの四十年、その間の時代の移り変わりの中で、何を考え、ど ういう生き方をされていたのか是非とも読ませてもらいたい。 書評によりますと『人間はもともと殺しあうようには出来ていない』と、記されているそうです。


お健やかに新年を迎えられましたことをお慶び申し上げます。

和国の教主(日本のお釈迦様)聖徳太子がいつも『世間虚仮・唯佛是真』とおっしゃられていたと伝えられています。 この言葉を、親鸞聖人は歎異抄で『煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念佛のみぞまことにておわします』と、頂かれています。
昨年末の東京都知事の辞任劇をみて、この言葉を、くちずさんでみました。 猪瀬さんと云えば、清廉潔白の文筆家で、道路公団の国家権力構造にせまられた眼力に、国民が喝采を送りました。だのに、 権力の座に就くと豹変するのですね。驚かされます。
いま、手元に『原発ホワイトアウト』という昨年九月に出版されたベストセラー小説があります。 若杉 冽のぺンネームで書かれていますが、ご本人は、東大法学部卒の霞が関のエリート・キャリヤ官僚です。 その職場で見聞きされたであろう出来事を物語にされた、作り話です。読んでみますと一昨年末、政権与党を奪還したツワモノ政治家たちと、出世官僚達らの天下り先を絡ませた権力闘争が手に取るようで面白いです。
フクシマ原発震災事故から三年になろうとしています。事態は一向に改善されず、政府は、原発事故は終息したと云うが、 いまだに汚染水に悩まされ、放射能の放出も続いています。
被災者の苦難は増しているというのに、早くも『風化』の兆一しが否めません。自民党の『電力安定供給推進議員連盟』は、 露骨に再稼働を急ぐよう大合唱され、豊富な電力会社の資金援助にむらがっています。
人間ってつくづく愚かだなァと思います


昨年の十一月、国会議員の定員削減をやろうと、うたって国会解散、選挙、安倍政権が成立しました。
ねじれ国会が解消し与党が過半数、『何でもあり』の様相となりました。そして、表に出てきたのが、秘密保護法の制定と憲法解釈を見直して集団的自衛権の確立をめざすという。
この国の舵取り何処へ行くのか不安を感じます。

自分らの身を切る議員削減は何の審議もされず、ただ声高に、他国への高圧的発言をする与党議員の多いのが気になります。 戦後七十年、憲法の精神を大切にしたいものです。
 故宮沢喜一さんと云えば、首相を務められた自民党リベラル派(自由主義者)の首領でした。その著書・「新・憲法宣言」に『自由はある日突然なくなるのではない。それは目立たない形 で徐々に蝕まれ、気がついたときにはすべてが失われているような過程をたどります。
 わずか数十年前に、このような経験をしたわれわれは、将来に向かって自由の制限につながるかもし れないどんな兆候に対しても、きびしく監視する必要があります。
』『再び歴史の魔性に引きずられることがないために、われわれは憲法の言うように【不断の努力】をもって自由を大切に し、日本社会の活力を守ろうではありませんか』と。
のべられています。昨今の自民党の指導者とは深みが異なるようです。

浄土真宗が拠りどころにしている経典『佛説無量寿経』下巻に、『佛さまの歩まれるところ、(略)天下和順し日月清明にして、風雨時をもって災い起こらず。国豊かに民安し。兵戈用い ることなし』とあります。憲法前文の願いと一致するように思えてなりません。


始まったといっても専門的な学びではありません。
当分は、先生の指導のもと、曲に合わせての発声練習といった感じです。

熱心な参加者に恵まれましたので心強く思っています。声を出しますとお腹の体操にもなり、健康にもよく、のどのリハビリにもなります。
今後は、お一人でも多く参加下さるよう働きかけ、素晴らしい会になるようご協力お願いたします。
佛教行事には必ず礼拝に始まりお勤めがあります。お勤めには節がついています。実は(声明・しようみょう)と言って歌なのです。
私たちは歌・音楽と聞きますと、五線譜を思い浮かべますが、お勤めも立派な仏教音楽なのです。真言声明・天台声明と言って素晴らしい音楽なのです。 ちなみに、東本願寺の声明は天台声明の大原流を継承しているそうです。

楽器もあります、雅楽の演奏をお聞きに成られたことがあるでしょう。儀式には雅楽が付きものです。雅楽を奏でる楽器は 佛教伝来とともに伝えられたものです。四天王寺に雅亮会という雅楽演奏の有名なサークルがあります。
音楽は洋の東西を問わず、どこの国の音楽も人々の心を魅了します。いい作品ともなれば何世代もの時代を超えて人々に受け継がれ、多くの親しみを覚えます。
世代を超えて愛されている『アンパンマン』のアニメ音楽でも、作詞者・故やなせたかしさんの歌詞が、曲に合わせて、人間の願いが醸しだされています。
なんのために、生まれてなにをして生きるのかこたえられないなんてそんなのはいやだ!』(アンパンマン)


ご縁があって、八月末から弟と共に二人でブータンへお邪魔しました。
ブータンは国民の幸せ度百パーセントの佛教国です。
 パローという町の農家で一夜の宿を取らせて頂きました。お夕飯を家族の方達とご一緒に頂き、もてなしを受け懇談しました。 その地域の旧家なのでしょう。築三百年とおっしゃっていました。
堂々とした構えのお家で、ご家族は、若夫婦と赤ちゃん。 その両親とお婆さん、そしてシスターの七人かとおもわれます。

 二階に大きなひと聞の佛間があり、家族の方達は敬虔な仏教徒です。早朝、五体投地のお参りをされ、作法が分からないまま参加しました。 その佛間の隣の部屋で休ませていただきました。
私たちは、便利で、快適な生活が当たり前になっていますが、日本の昭和三十年代の生活を思い浮かべてもらえば、イメージわくと思います。 しかし、家庭にはテレビもありますし、若い方達はスマホを使っています。
 ブータンは海抜二千五百M級の山岳地帯ですから、平地は殆どなくあっても田んぼで、棚田です。住宅は、山の傾斜に建てられており、かなり高い所に まで建てられています。
農業国で、これと云った産業はなく、水力発電でインドに電気を輸出し、その収入が一番大きいとのことです。 教育費、医療費は全額無償で、若い人たちは殆ど英語がしゃべれます。 仏教国といっても上座部(小乗仏教)で日本の仏教とはかなり異なり、チベット仏教で戒律を重んじます。

 有名なタクツアン寺院へは往復六時間の山登りです。 どの寺院も立派で大勢のお参りで賑わっています。大きな壁にはどのお寺も六道輪廻の絵が描かれていて、人々の生活の糧になっています。
(六道につ いて中の頁に書いてあります)


今年の猛暑も九月の声を開き、少し和らいだようです。子供のころには、蚊帳を吊って寝たものです。今から思うと風流ではありますが、さぞかし署かったろうと患います。

それでも過ごせました。近ごろは、春・秋・冬が短くなり、暑い夏が長く感じられます。地球に異変が起きている徴でしょうか。
さて今年は、私にとって大切な想い出の年であります。母親の三十七回忌を迎えることが出来ました。春四月ささやかな法要を営ましていただけた事が喜びであります。次の五十回忌はほど遠い話です。

暁烏 敏という先哲がおられました。この方に有名な歌があります。
十億の人に十億の母あれどわが母にまさる母あらめやも』です。

この歌に出会ったころは、母も健在でしたし、何と自分の母をたかく買い被った歌だと思っていました。 私の母親は明治の晩年生まれ、明治気質の女性でした。男はこうあらねばという、信念のようなものを持っていて、特に長男の私には厳しく育てられた思いがあります。

何度目にお前は長男だからと。でも、弟らからは優遇されているようにしか見えなかったようです。寺の住職に育てねばという思いもあったのでしょう、同級生がいろんな学校を志願しているのに、出来 も悪かったのですが、私は東本願寺の学校しか受験させてもらえませんでした。先生にもそれ以外願書は書かないでと、頼んでいたようです。

そんな事からいろいろ反発もしました。 今になって右の『十億の人に十億の母』この歌の味わいが、深まってきたように思います。歳を重ねるとは、恥もかきますが深みも育てられるようです。


暑いあついと言いながらつい怠けてしまいますが自然のはたらきは、私の計らいを超えて、うまく出来ているものです。
そのうちに過ごしゃすくなりましょう。
どなたが数えられたか知りません。私一人の親になって下さった方が、二千年の間になんと、二兆二百四十六億二千三十四万五千四百六十二人だそうです。

その問、一人も欠けていないのです。二兆四十六億のご先祖様とは何代さかのぼるのでしょう。
それが一人も欠けずに、全部生きて、私の今のこの一息に なって下さっているのです。『不思議』な営みという以外に表現のしようがありません。
二千年さかのぼることは、感覚からかけ離れていて実感できませんが、十代さかのぼるだけで、千人 以上の方が居られたことは事実です。
不思議』という言葉は『不可思議』の略で理解ができないとか、不審といったような疑問視するニュアンスがあります。

実は『不可思議』には、もうすでに『出来上がっている』と云う意味で、私たちの思考では『思議できない(考えられない)』ということです。
私たちは、自分の努力で何でも切り開いて行けると考えています。その努力は大事だと思いますし、今後も頑張らねばなりません。

しかし、なんでも自分の思い通りにしようとする姿からは、決してそれは得られますまい。賜ったいのち(二兆四十億の願い)は頂いてゆくしか道はありません。

特に近ごろの私は【老い】の坂を感じて生きる日々、庭の掃除をし、草花を愛でながら、あたりの草花からいのちの語らいを聞かせて頂く日々です。


国防軍に誰が入るのですか?
光陰矢の如しとか、何時の間にか今年も半年過ぎました。
 この夏も猛暑に見舞われることでしょう。近年の夏の暑さは温暖化の関係か極端に暑いです。熱帯地方のようです。
先日、朝日新聞の投書欄に、『待って下さい。国防軍って誰が入るの?私の息子?私の孫?』とありました。

 今度の参議院選挙の自民党公約・憲法改正草案を踏まえての投書であります。 参議院は衆議院より軽く見られているようですが、参議院は、衆議院の横暴を正していただく組織であって、決して政党間の党利党略に陥つてはなってはならない良識の府です。

 どうやら自民党は政権奪還して半年余り、選挙があるので少し控えているようですが、鎧の下に本根が見え隠れしています。
原発を推進してきた党として、何としても安全を売り物にしたいらしい。
悲惨な原発事故を起こしたのに、『被曝で直接亡くなられた方はいないから、再稼働をめざす』といった発言者。

 奈良選出の議員さんです。品のない発言に奈良県民として恥ずかしい。国会の夏休み中に被曝地で生活なされたら如何です。
憲法』とは、権力者を縛るものなのです。憲法では、国民(主権者)を守ることを保障されているのです。

自民党は、そこを間違えてとらえられているようです。
憲法を変え易いようにハードルを下げ、次に九条改正に移り、国防軍を創設したいのでしょう。集会・表現の自由も検閲も厳しくするといいます。
先の戦争で正行寺のご門徒が四十数名も戦死されたことを忘れてはなりません。
そして、『百三条』からなる憲法を読み、学び直さなくてはなりません。


ある識者が最近は、『佛教ブーム』だという。
本屋さん行けば寺院のガイドブックが並んでいるし、お坊さんの出版物が数多く陳列されている。
 日本全国どこかの博物館では、必ず○○寺院展が開催されているという。そういわれれば確かに佛教書?が氾濫しているし、有名観光寺院は、日曜日なんか観光客であふれかえっている。

 だがこのような現象をもって『佛教ブーム』(佛教興隆)だと言えるのだろうか?私は少々疑問視している。
だいたいブームとは如何いうことなのだろう。辞書によると、『ある物事がにわかに盛んになること』とある。一時的にそういった現象が現れても過ぎ去っていくものである。
 昨今の複雑な社会環境の中で、悠久の歴史の流れを背負って歩んできた観光寺院の姿に『癒し』を求められるのは、ある種、慰めと文化財への関心からくるものなのであろうか。

 正直、『佛教とは』いったい何なのか?問うてみなければならない。佛の教えと書かれであるとおり佛(覚者・悟った方・お釈迦様)のお説きになった教えということである。
 その佛の教えを伝え聞き弘めるところが寺院である。しかし、昨今の有名寺院は観光化しているし、そうでない場合は、儀式を執行することでしか成り立っていない。

 では、お釈迦様は何を私たちに教えて下さったのか?『人間は、苦悩するもの』その苦悩から解放する方法を教えて下さったのである。
苦悩からの解放は『聞法・ 教えを聞く』以外に道はない。そこに求道の難しさがある。正行寺では毎月二十八日午後一時半から開法会を関確しています。
 いろんな方々が参加下きり、共に学んでいます。どうぞ参加下さい。


 寺の孫娘も先月末からOL. 就職先へ出勤しています。つい最近まで甘えん坊だったのに、出かける姿は初々しい。
四月は年度初め、真新しいランドセルを背負った一年生。ぎこちなくスーツを身に着けた青年に出会う。お正月とは又違うすがしさを感じる。
先日招かれてお邪魔したお寺の本堂に、次の言葉が掲げられていた。

一つ、この度のご縁は、今生最後のご縁と思うベし。
一つ、この度のご縁は、今生初めてのご縁と思うベし。
一つ、この度のご縁は、私一人のためのご縁と思うベし。

この上の言葉を、ご住職が開会のあいさつの中で佛法を聞く心構えとして話された。
そのご挨拶を聞かせていただいて、正直、えらいお寺にお話に来たものだと、身のちじむ思いであった。
  私たちは、人との出会い、お話を聞かせて頂く、といったようにいろんなご縁を頂く。その時『これが今生最後のご縁』とはなかなか頂けない。
話を聞く時も、一句も聞き洩らさないと一生懸命聞いて、感動しても何時の間にかこぼれ落ちてしまう。
  二度目に同じ話を聞くと、あの時、聞いた話だなあと、おもってしまいます。聴聞とは、『ああ、そうか』と、腹の底に落ちるまで聞く。繰り返し、繰り返しきく。
これほど難しいことが他にないし、これ以外に求道(ぐどう)はない。


 寺の孫娘も先月末からOL. 就職先へ出勤しています。つい最近まで甘えん坊だったのに、出かける姿は初々しい。
四月は年度初め、真新しいランドセルを背負った一年生。ぎこちなくスーツを身に着けた青年に出会う。お正月とは又違うすがしさを感じる。
先日招かれてお邪魔したお寺の本堂に、次の言葉が掲げられていた。

一つ、この度のご縁は、今生最後のご縁と思うベし。
一つ、この度のご縁は、今生初めてのご縁と思うベし。
一つ、この度のご縁は、私一人のためのご縁と思うベし。

この上の言葉を、ご住職が開会のあいさつの中で佛法を聞く心構えとして話された。
そのご挨拶を聞かせていただいて、正直、えらいお寺にお話に来たものだと、身のちじむ思いであった。
  私たちは、人との出会い、お話を聞かせて頂く、といったようにいろんなご縁を頂く。その時『これが今生最後のご縁』とはなかなか頂けない。
話を聞く時も、一句も聞き洩らさないと一生懸命聞いて、感動しても何時の間にかこぼれ落ちてしまう。
  二度目に同じ話を聞くと、あの時、聞いた話だなあと、おもってしまいます。聴聞とは、『ああ、そうか』と、腹の底に落ちるまで聞く。繰り返し、繰り返しきく。
これほど難しいことが他にないし、これ以外に求道(ぐどう)はない。


 東シナ海・尖閣諸島周辺のニュースを聞いていると、中国のような日本の何十倍もの国土を持ちながら、あんな小さな島を我がもの にしようとする姿。
領有権という難しい話があるのだろうが、何か人間の哀れさを感じる。

 先哲の言葉に『この地上に住むすべてのものが、大空という一つの屋根の下、大地という一つの床の上に住む兄弟じゃないか。それを境界線など作って、 とった取られたと限りない争いを繰り返す。残念なことですなあ』と。

 地上に住むすべての人々とはおっしゃらない、「すべてのもの」つまり山川草木、地球上に住むことを許された一切のものが、一つの『いのち』に生かさ れている兄弟だというのである。一つの『いのち』一つの働きとは何だろう。
 今、我々は地球という一つの宇宙船に乗って、この宇宙を航行している。この天地間の一切のものが、一つも例外なく網の目のように結ぼれている。人間 だけが生きているのでない。すベて支えられて生かされているのである。 宇宙の総力挙げての働きを佛の働きと云い、南無阿弥陀佛と表現する。

 親鸞聖人の在世中、鎌倉で念仏者と社会との関わりの訴えが有った。
性信坊というお弟子がその法廷に出、その結果を聖人に報告、その返信の手紙の中の言葉である。念佛者は世間との関わりをどうすべきか、との間いに。念 佛者は佛法の説く縁起の法をよりどころとして、念佛申すべきである。

お念佛、こころにいれでもうして、世の中安穏なれ、佛法ひろまれ、おぼしめすべしとおぼえそうろう


 友達が急逝しました。
磊落な人柄であった彼は、いつも会合の雰囲気を盛り上げ、愉快なひと時をかもしだしてくれた。この二月にも合うことになっていたのに。
 お通夜にお参りをさせていただき、柔和な遺影の前にたたずみお勤めをさせていただいた。
 元気な時の姿が去来し、お勤めがうまく行かず、声が詰まり気味になったとき、彼の肉声で『お前も死ぬぞ!』と、語ってくれたような気がした。
私も光輝(後期)高齢者、間もなく逝く。

私たちは、いのち終えたときどうなるのでしょう。
以前、著名な方が「人間死んだらゴミになる」と著わされた方がいた。
でも果たしてそうだろうか? 私たち真宗門徒は大事な言葉として『私がいのち終わったらお浄土に帰らせた頂きます』と、言ったものです。
 皆さん自信をもって言えますか?
 いのち終わってお浄土に帰るというと、死んだ後にどこかのある場所へ、行かねばならないのかと思われるかもしれませんが、そんな意味のことを言っているのではありません。 どんな川の水も海に流れますと一つの味わい、いわば塩辛い味になるわけです。

 海に流れ込んだら、どこの川の水だとか、自分はどこそこだとか関係ありません。
みんな海の水になります。これが私たちの帰らせて頂く浄土です。つまり私たちの帰るべき世界は、『一味平等の世界』なのです。
阿弥陀経には『倶会一処』という言葉がありますの倶(ともに)一ところで会う。これがお浄土を表した言葉であります。


  昨年末の衆院選挙立候補者で最高齢者は九十四歳、埼玉十二区で戦った川島良吉さんです。
きっかけはテレビの党首討論だった。『国防軍』『憲法改正』。そんな言葉が飛び交うのにこころが奮い立ち、立候補を決意したという。
 それにしても感覚の若さと熱血漢に熱いものを感じます。二十一歳で陸軍歩兵として中国戦線へ送られ、多くの戦友が目の前で死んでいった。政治家は戦地には行かない。犠牲になるのは弱者や貧乏人なのだ。

川島良吉、九十四歳、日本国憲法は最高!第九条を守ろう』と訴えた。結果は2000票余りだったが、絶望はしていない。『こんな右傾化の動きは長くは続かない。国民はそんなパカじゃないよ』と。(朝日新聞・ひと欄)
 今回当選の自民党議員80%以上が、今の憲法はアメリカからの押しつけ憲法だとの考えで、自民党は憲法改正が党の綱領になっています。
 確かにアメリカの占領下(昭和二十一年十一月三日)帝国憲法改正の手続きによって制定されました。大きな間違いを起こした後、二度とあのような失敗をしないようにしようと思う。

 これが第二次世界大戦のあとの、世界の人たちの切ない想いであり、日本人全ての思いでした。この世界の人たちの想いや願いをひとつところに集めたものが、実は日本国憲法です。ちがう言い方をしますと、私たちの憲法はアメリカに押しつけられたものではない。
 そんな安っぽいものではなくて、そのころの世界の人たちの希望をすべて集めたものです。もちろんそのころの日本人の希望も入っています。もめごとがあっても武力でではなく、話し合いで解決しようというのは、大変勇気と努力が必要です。外交は軍事力だ!と、いう方がいます。この狭い惑星で破壊ばかりしていたら、人間が住めなくなります。


 今年も残り少なくなりました。 多忙な毎日をお過ごしのことと存じます。お風邪など召されないように。 茨木別院を辞して早や三月となりました。時間に追われた生活から解放され、時間の持て余し気味なこともあります。  そこで自分に少し厳しい早朝五時半起床のスケジュールを課してこなしています。今日まで朝の『連続テレピ小説』を鑑賞する機会がほとんどなかったのですが、近ごろはつい誘われてハマッテいます。 朝食の後のひと時の楽しみです。それぞれ問題の抱えた大人たち、いろんな苦悩の山積した人生模様、興味津々です。純さんのあまりにも真つ直ぐな人との付き合い方、不器用さ加減には面食らう。  採用面接で『社長になるために来ました』と、直球発言で臨んで、社長裁量で奇跡的に採用される。弟と同姓の純さんの純真さに惚れ込んだ愛(いとし)彼自身、純さんの直情行動には不安を感じつつ、彼の直観力で彼女を側面から応援します。テーマソング『信じればきっと心が伝わる』と歌われ、二人の愛の拠りどころになっています。  佛法は、人生は苦なりと教える。四苦八苦(しくはっく)がそれです。苦しい事もあるが、楽しい事もたくさんあるではないか、とおっしゃるかもしれません。だが、今までの体験を過して考えてみて下さい。楽しいと思っても一瞬の出来事で終わってしまいます。 苦しみの原因は欲望にあると、お釈迦さまが教えて下さっています。 二人にどんな問題が引き起きるか楽しみです。


 霜月十一月は報恩講のシーズンであります。
昔から年に一度の報思講と言われてきましたように、真宗門徒にとりまして『知恩報徳の生活』をたまわるという最大の年中行事であります。
知思報徳の生活をたまわるとは、この私まで、『南無阿弥陀悌』が伝えられてきた歴史を、深く受けとめることです。正行寺では別紙ご案内の通り、例年、十一月十日・十一日の両日勤まるのが恒例になっています。

云うまでもなく、親鷲聖人は今から七百五十年前の十一月二十八日に、九十歳の生涯を終えられました。親驚聖人のお徳をしのび、お念備の教えに生きられた先達に思いをいたし、その恩徳に感謝し報いるお勤めが報思講であります。

恩に報いるということは、聖人のおしえて下さった唯一つの道、併の願いを聞いて生きる道を私が歩み続けることであります。
思いめぐらしますと、私たちの父母も祖父母たちも時代のへだたりを超えて、聖人の実語に耳を傾け、念悌申していたという懐かしさ、その同じ流れの中にまた私自身も居るのだという安心、併の願いを聞かせていただき念悌申すことは、私にとって生きる励みとなり、どんなことに出会っても変わることのない、落ち着き場なのであります。

このたびの『報思講』迎えるにあたって、あらためて思いますことは、昔のような活気を取りもどすのは無理としても、事務的な勤め方を改めたい。
報思講に始まって報思講に終わる』と、言われてきた願いを大事にしたいものです。 /p>


十月に入ってやっと秋らしくなってまいりました。温暖化の影響なのでしょう、二週間ぐらい時期がずれているのではないか。この環境の変化はマスコミでも取りあげはしますが今ひとる緊迫感がない。この問題が一番の関心事であり、政治の課題だと、私は思っている。
 しかし、昨今の政治家は環境問題より目先の経済、自分らの選挙のことが優先されているようだ。環境は目前の問題でないだけに実感するのがむつかしく、先送りになってしまう。
 地球上に生命が誕生して三十五億年経ったと言われている。その途方のない時間を経て作り上げられた環境を、人間が急激に変えてしまった。このまま放置して五十年後、百年後の環境はどうなっているのだろう。

 自然は人間の作り出したものではない。私達人間も自然の中の一員である。それがここ百年がらいの間に人間が傲慢になり自然の中の一員であることを忘れてしまい、人間対自然という対立関係で考えるようになってしまった。
 現代人は自然を(しぜん)と漢音読みで発音する。じねんじょ(自然薯)と言われるように、(じねん)と昔の方々は発音されたようである。親鸞聖人の言葉に次のように書かれた文章がある。『じねん(自然)というのは、もとよりしからしむるということばなり』とあり、もうすでに、貴方はあなたとして出来上がっている。と、説いて下さっている。

 近頃、特に思う。朝、目が覚める今日も生かされていた。寝るのもまた不思議だ。起きているときだけ心臓が鼓動しているのではない。眠っている間も休みなしである。私達のいいとか、悪いとかの思いを超えて、私をわたしとして生かし続けて下さっている。それを自然(じねん)のはたらきといい、阿弥陀と名乗るのである。


今年の春ごろだった。『ほんとうの親鸞』(副題)親鸞とは何者であったのか。というショッキングな題名の本が出版されまたたく間に版を重ねられた。親鸞に多くの方たちが関心を持たれている証だろう。 著者は宗教学者の島田裕巳氏である。  氏に関しては正直あまrちいい感情は持っていない。今回の出版と同時期に出された『浄土真宗はなぜ日本で一番多いのか』に関しても、浄土真宗に関しては一章だけの記述であり、題名によって購読者を充てにされているようにしか思えないのである。  親鸞と呼び捨てにするのを許して頂きたい。今回の『ほんとうの親鸞』に関しても何か貶めようという意図があるのではと、疑わざるを得ない。章の建て方一つを見ても親鸞はほんとうに流罪になったのか?とか。親鸞は法然の高弟だったのか?といった案配である。歎異抄と言えば親鸞の思想が語られている書物として誰も異論をはさまないが、親鸞の書いたものではない。 教行信証は多くのお経や、他の高僧方の引用であって、親鸞の文章はほんの少し、そんなものは著者とは言えないという。  親鸞ほど自分のことを語らなかった人も少ない。その事がかえって、この本のように親鸞という人物、その生涯、思想までも曖昧なものと論ぜられるのである。  親鸞は一生涯、法然上人の弟子として過ごされた方である。法然上人はこのこと一つを、顕かにしようとされた。そのことが世に誤解されている。それを正さねばという姿勢で親鸞は著述されたのである。それらのことを念頭に置いて読まなかったら親鸞の意に反することとなる。


四年に一度の祭典、ロンドンオリンピックが始まった。日本選手の活躍を期待する。時差の関係で、実況は真夜中か朝方になり、録画やニュースでしか見ることが出来ないのは残念だ。
 『私はいつも最初にスポーツ欄を開く。そこには人間の達成したことが記録されている。第一面は人間がしでかした失敗ばかりだ』とは、天声人語で教えて頂いた言葉である。アメリカの政治蚊家で判事のウオーレン氏の発言だそうだ。
 なるほどと思い朝刊一面をながめてみるち政治は混沌としている。三年前のコンクリートから人へのキャッチフレーズはどこへ行ったのか。保身のためか三党合意で増税して。社会保障と税の一体改革、どこへ行ってしまったのか、大判振る舞いをするという。そのツケはだれが負担する。

国民の生活が第一』という党も誕生。国民の生活を考えるのが政治であり、それをわざわざ政党の名前にするとは、裏返せば、国民の生活を考えず、国民とは遊離した政治を行ってきたということか。
 報道によると、電力需要は供給の八十パーセント代、原発を再稼働しなくても十分電力は足りているようだ。
 計画停電の要請に協力を、との通達もあり、万が一、を考えて、園児さん達の給食献立を変更した。予想はしていたが、保護者からの停電になってもガスで調理できるでしょう。毎日パン食ではかわいそうどとクレームがきた。あげくのはて、給食費の差額はどうなる?ヘーェはらってなかったんや!払ってないものまで返却せよとはこれいかに。図々しいもの程がある。関電の手前勝手さに現場はこんな問題を抱えているのです。

 親鸞聖人の言葉に、『煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念佛のみぞまことにおわします』と、あります。(歎異抄)真実まこととは何かを追い求める、そういう姿勢を常に持ちたい。


原子力発電所とは『トイレのないマンション』に例えられています。
現代の科学の水準では、原発から出る放射能廃棄物の処理が出来ず、溜まるばかりであります。あそれが青森六ヵ所村の施設です。地中深く掘って溜めています。むしろ『いのち』の根源を奪うものであります。その事から政府も『原発からの脱却』をいい、それが国民の世論でもあります。
 『喉元過ぎれば熱さ忘れる』の譬えではないが、まだ忘れさられてもいないのに福井大飯原原発を再稼働するという。『動かさないと国民の生活がまもれない』ため。 『原発の安全性は暫定的』だが、福島原発は想定外であった。他の原発では起こりえない事として、一応安全と認められるので、とにかく動かすという。
 『想定外』とは、裏返せば人間の知恵は間違いないという考えの傲慢さをいう言葉である。福島原発の事故解明もほとんどなされていないにもかかわらず。
 その背景には何があるのか、立地自治体の目先の利害と、経済界からの圧力に電力会社の『停電するぞ!』のおどしに乗せられた感じだ。国民は、節電を覚悟していたのに。
立地自治体と原発作業員や地域の精神的経済的補償は、設置者の政府が責任を負うべきである。そして又、政府は、国民のいのちについてどう考えているのか?どちら向いて政(まつりごと)をしているのかどうか問うてみたい。
 原子力発電所とは、多くの原発作業員の被曝労働によって支えられて成り立っている。今日までどれくらい多くの被曝者がおられたことか、表面だたないようになされてきた。
 昨年のような放射能に侵されると、原子力発電所は、その地域やそこに住む人々までも排除してしまう『差別社会』を助長する。私達真宗念佛者は、すべてのいのちを摂取して捨てない阿弥陀如来の大慈大悲を仰いで生きる者である。佛智よって照らし出される人間の無明の闇と、現実からの問題に目をそらしてはならない。


六月を、『水無月』とか、田に水を注ぎ入れる月の意味だそうです。
私達の祖先は米作りが主たる産業であった事から生まれた言葉でしょう。米作りが、日本人のいのちの願いであった。
 それが特に昭和三十五年以降、米に重心のあった経済から貨幣中心の経済に変遷し、昨今は減反政策とか、主食の米作りが疎んじられるご時世になった 。時代の流れとはいえ、自坊の辺りは市街化地域で開発が徐々に進み田んぼが少なくなり、以前のような牧歌的な田植えの風景、強いて言えば日本的風景 もさま変わりして、エンジン音の響く中での作業となり、田んぼは、米作りの為の田んぼではなく、土地値打ちと化してしまった。
 田んぼがあるのに作付けされずに放置され、荒れ地が多く目につく。耕作されず、あれ放題の田んぼを辞書によると『穢・ヱ』と言うそうです。『禾ヘン』の字はすべて稲と関係した字です。米作りがないがしろにすると言うことは、『いのち』を疎んじることにもつながります。お米は、八十八回もの人 手を通して戴くのだと教えられたものです。
 現代では『穢』という字を『けがれ』といったように本来の意味と違う形で使われています。元々は、田んぼが荒れ果てて作物が(米)育たない状況を言うのだそうです。作物が育たないということは『不毛』ということで、食物がないと人間は生きてはいけない。作物の種まきをしたり、苗を植えたりすることを、『毛』をかけると、言われます。その作物が枯れたり育たないことを、『毛が枯れる』といい、そこから『けがれ』という言葉使いが生まれたのでしょう。ですから農作業の言葉であって、決して忌み嫌う言葉ではなかったのです。
 それが特に近代、特に明治になって部落差別が助長され、『穢れ者』と言ったような人間を差別する差別用語として使われるようになった。それ以前の江戸時代には、『身分制度』は厳然とあったけれども、身分についた職業は補償され、それなりに生活は保証されていた。近代は、身分制度は取り除かれたが、職業の補償はなくなり、差別を温存助長することになった。


青葉若葉の季節となりました。 昨年の今頃は京都の各ご本山で宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌が盛大に勤まり、法然上人の知恩院でも八百回忌の法要が勤められていました。法然上人は親鸞聖人より四十歳年上で、八十歳でお亡くなりになりました。  親鸞聖人は九十歳ですからちょうど五十年の隔たりがあります。   これからも五十年ごとにご縁をいただくことになります。  親鸞聖人のお書きになったご和讃や、お聖教をいただきますと、『法然上人は浄土真宗を説いて下さった。自分は、説いて下さった浄土真宗を聞かせていただいたのだ』と、仰られているうように思えるのです。  例えば『親鸞にをきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて、信ずるほかに別に子細なきなり。』(歎異抄)『よきひと仰せ』とは、法然上人のことです。上人は八十歳でいのち終えられるまでどのような人にもこのこと一筋にお説き続けておられた生涯でありました。  そのことを上人と別れられた後々も、自分はこのように聞かせていただいたのだと、感動をもって語っておられるのです。『如来よりたまわりたる信心』も上人の言葉。そのお聞かせを裏打ちするかのように、お念佛を申すという信心は如来さまからいただいた働きなのだ。念佛申して生きて下さいよ!と、勧めて下さっているのです。


先日、役所の方からあなたは後期高齢者になりましたから、手続きをして下さいの通知を頂いた。そんなことがあってか、どうか知らないが、近頃特にこんな事を考えます。 自坊へはしょっちゅう帰ってはいるのですが、単身赴任の独り身ですから心細くなるのでしょう。その上辺りに誰も居ませんし、少々声を出しても届きません。ですから、『朝目が覚めた』ことがもの凄く有り難く感じるのです。誰にもご迷惑をかけず新しい朝が迎えられたことに。
 今まで頭で理解していても、正直、思いも及ばなかったことです。起床するなり、朝のお勤めに出なければならない。けさのお勤めも作法は何だったかとか、たわいのない事に振り回せれ、あれもこれもと時間に追われていました。
その事は今も変わりないのですが、当たり前にしていたことが、近頃、朝、目が覚めることの『有り難さ』をつくつく感じるのです。手の指が5本動く、辺りが見える。ものが言える。歩く事が出来る。こんなすばらしいことが当たり前にしてきた自分。
『当たり前の反対が、有ること難し』を実感している今日この頃です。
 これもひとえに寺に生まれさせて頂き、佛法に遇わせて頂いたお陰げといただいております。佛法に遇わせていただいたことを通して、残された人生、佛のお仕事に参加させていただき、縁あるごとに、頭を下げて、どうぞ手を合わせてお念仏申して生きて下さいよ!と、お願いして生きていこうと念じてあります。
どうぞご一緒にお念佛を申しましょう。


作家の五木寛之氏が再び『親鸞』激闘篇上下二巻を発表されました。この作品は、前の作品に続いて昨年の一月から一年間全国の四十四紙の新聞に連載されたものです。後書きにも述べられていますが、かなり自由奔放に作家としての想像力をはたらかせて書かれています。とは云っても、歴史的事実を踏まえながら話が展開されるので、大いに楽しませていただいた。  私が長年疑問にしていますのは、越後での罪人(流人)としての五年間の生活です。そして又、罪人は解けたものの関東への移住、環境の異なる地へ、家族連れだっての移住です。全く想像もつかないことです。呼びよせて下さる、つてはあったでしょうが、不安は無かったのでしょうか。  越後には七不思議と言って親鸞聖人の流罪中の様子が伝えられています。が、現代感覚として荒唐無稽な事柄でしかありません。しかし、その荒唐無稽な物語として片付けるのではなく、その奥に、何を物語らているのか考えねばならないと思います。  その当時の民衆は、飢餓や天変地変、病気に苦しみ抜いていたでしょう。その彼らが聖人に何を求め、聖人も又、彼らに何を与えようとなさせたのか?興味津々たるものがあります。『三部経を千部読みて、衆生利益のためにとて』(恵信尼消息)とありますように、お念佛の教えを正しく伝えることの難しさと同時に、聖人の苦悶の姿が読み取れます。 南無阿弥陀佛


今年は寒さが厳しい様で日本海側では例年にない大雪の情報です。 インフルエンザも流行しつつあります。そんな中、秋安居という季節はずれの名称の学びに参加しました。  安居(あんご)という名称の学びは、お釈迦さまの時代から今日まで続いている伝統のあるものです。夏安居といって、七月に二週間開催されます。全国から集まるのは大変ですから、夏安居終了後、各地方に秋安居と称して巡回して開催される佛教の学びです。  今年のご講師は、私の先輩で七年ぶりにお会いできました。お互いに年を重ねましたが私とは違い先生は、頭脳明晰お若い頃と一つも変わらず『教行信證』という難しい書物の文章を、テキストも見ずにすらすらと板書される、日頃の精進の姿に敬服しました。  『生きる』という事を追い求めるのが人間であり、その人間に『生きる』と云うことを教えるのが佛教です。親鸞聖人は、『教行信證』という六巻の書物を著わされました。この書物は平たくいえば『如何に生きる』かということえお主題にして書かれたものです。  せっかく人間に生まれたのですから生きるためには、佛さまの『教え』を聞かねばなりません。聞くことによって修行の『行』が出来、『信心』が生まれます。信心が得られますと人生の目的も定まるのです。そのことを『證(さとり)』というのです。  この事を佛殿に譬えますと、佛殿は佛の願いの基壇の上に建てられ、教・行・信・證という四本の柱が四方を固め、『真の佛土』に云る階段と、『化の佛壇』への二本の階段が設けられているのです。  この筋書きを学ばせていただくのが佛教の学びです。  佛教の学びといいますと何か小難しく思われますが、日頃の生活が問われてくる学びです。 南無阿弥陀佛


謹んで新年のお祝いを申し上げます。  親鸞聖人のおうた(浄土和讃)に『無明の闇を破するゆへ 智慧光沸となづけたり 一切諸沸三乗衆 ともに漢誉したまへり』とうたわれています。  私たちのこの国は、豊かで、快適で、便利な世の中になりました。このことが幸せの目的なのだと、戦後七十年近く追い求めてきた結果なのです。  果たしてこの事が人生の目的だったのでしょうか。表向きは素晴らしく見えますが、政治、経済、文化どれを執ってみても、出口のないトンネルに居るような感じです。  この事は昨年春に勃発した東日本・原発の問題が起こって特に考えさせられたのではないでしょうか? 人生を快適に、便利に、豊かに長生きすることに全精力を費やしていますが、これらは一瞬にして崩壊してしまう、一体私は、何のために生きているのでしょうか? 生きている間に一体何をなすべきなのでしょう?答えが出てこないのが現実です。  自分中心にしか生きられない私は、自分の能力や努力では絶対に自分の自我を超えることは出来ないのです。なぜなら蚕が繭を造るようなもので、自分の口から出した糸で雁字搦めになってしまいます。そのような私の姿を指して『無明の闇』と呼び掛けられているのです。 その闇を破ってくださる智慧光(阿弥陀如来)に出遇うには、『聞法』以外には道はありません。  


早や師走、今年も残り少なくなりました。本年は、親鸞聖人没後七百五十年という記念すべき年でありました。しかし、三月には東日本大震災という末曾有の災害があり、世界中が震撼させたことでもあります。  中でも原子力発電所の事故は、十ヶ月経った今も未だ終息せず、何時になったら元どおりの生活が取り戻せるのか、もう住めないかも分からない状況です。  そんな中、ただ唯一明るい話題を振りまいてくれたのは、女子サッカー『なでしこJAPAN』の快挙でした。日本中が意気消沈している中『かんばろう!』と、立ち上がらせる意気込みを与えてくれたことであります。  世間のことわざに『人事を尽くして天命を待つ』というのがあります。人として出来得るかぎりの努力をする。そのことによって、よい結果が得られることを期待する。 といった意味でしょうか。だがよい結果が得られるとは限りません。  清沢満之とう先生は、『天命に安じて人事を尽くす』と言いかえられました。なぜなら、人事を尽くすというけれど、人事を尽くす(努力が出来る、頑張れる)ということも、みな天からのお与えの恩賜であります。天命に安じているから、人事を尽くすことが出来るのです。  と教えてくださいました。  私たちは、えてしてよい結果を望むものですが、どのような結果になろうが、堂々と安んじて歩みたいものです。






サイトマップ
TOPページに戻る
Copyright c Shogyoji. All Rights Reserved