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 寺の境内に生える木が、いつの間にかつぼみをつけて、庭に変化をもたらしていました。 私たちが気づかないうちに、根を延ばして成長する姿は、 太陽の光の呼びかけに草木が応えるかのよう生き生きとしています。

このテーマについて考えた時、まさに生き生きとする草木の成長に教えられている思いがします。
 昨年、教区の青少年のかつそうで大谷高校にお邪魔し、当時の校長でありました真城義麿先生に講義をしていただきました。講義のなかで先生は「この紙を見て、ここに雲がみえますか?」とおっしゃいました。

雲の絵が描いてあるわけではないただの白い紙でした。それは紙は木からできているが、その木の成長には太陽や光や雨、そしてその雨を降らす雲。たくさんの関係が成り立ってこそ、この紙が出来ている。ということでした。

紙一枚でさえも目に見えないたくさんの関係で成り立っているのだから、私は日常生活で、どれだけの関係のなかを生きているのだろうと振り返ってみました。自分は目に見える自分中心の関係のなかで一喜一憂しながら暮らしているけれども、それは目に見えていない事がどれだけたくさんあるのだろうかと改めて感じました。

 自分では気づいていない所で私は支えられている。そして気づかない所で相手をも支えているという、私の思いを超えたりつながりの広さを考えさせられました。「いのち」とは、つながり、出会い続けていくことであり、そこに自己の在り方が常に問われているのではないかと思います。



 親鸞聖人は『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という六巻の大変難しい本を、自分の人生をかけて著わされました。その最初の『教の巻き』に次のように歌い上げられています。
『謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり、一つには往相、二つには還相なり』
とあります。
 聖人が『浄土真宗』と名付けたのは『いのち』のはたらきのことなのです。『回向』と云っておられることは、私たちは生きているものの、いのちの事実を言いあてた言葉です。
 『いのちの事実』とは、『いのちは自分のものではない』ということで、『いのち』は与えられたものということです。つまり『回向』とは、与えられている事実を言い表してるのです。いのちは自分のものではない。私有化できないということです。いのちは、自分ではどうしょうもないし、どこまでも自己以外の他によっている事実を表しています。事実とはそれぞれの人は、百パーセント出来上がった個性的表現をしています。『いのち』というのは、私を私たらしめている『はたらき』をいいます。そのことを『縁起』とも云われています。
 頓智の一休和尚(一三九四~一四八一)の辞世の句といわれる句、いのちのことを、次のように云われています。

 借用申す昨月昨日
 返却申す今月今日
 借り置きし五つのもの四つ
 返し本来空にいまぞもとずく

 『借り置きし五つのもの』とは、地・水・火。風・空です。このうち地・水・火・風は『四大』と呼ばれます。四つの元素です。古代のインド人は、人間の身体は四大で以て構成され、病気はそれらの調和が崩れたときに起こると考えていました。そこで病気の状態のことを『四大不調』というのです。昨今は使われませんが私の子供の頃の新聞の死亡広告によく使われていました。
 私たちはこの身体(四大)を佛様からお借りしているのです。そのお借りしていた四大を佛様にお返しして、本来の『』に戻ります。それが死です。一休和尚はそう云っておられるのです。
 『』とは、死んだらお終えよ!と云っているのではありません。一休和尚は禅宗のお方ですから空と表現されたので、あなたの人生の目的は何ですか?人生の行き先、目的地を持っていますかと、目的地がはっきりしましょうと、おっしゃっているのです。一休和尚は禅宗のお方ですから『』とおっしゃられているのです。
 私たちの『いのち』は、何度も云うようにたまわっているのです。佛様からの預かりものです。たまたま条件(縁)が整っていますから、今、生きているのです。阿弥陀様のいのちを今生きているのです。



毎月二十七日は親鸞聖人のお逮夜にあたります。いつも同じような話しかできないのですが、今月は、親鸞聖人の和讃について述べてみます。
 多くの祖師方が居られますが、親鸞聖人程多くの和讃をお作りになられたお方は他におられません。全部て五百十余首ほど作られました。和讃をお作りになった目的は『やわらげほめ』と、聖人自身が書かれていますように、漢文で書かれた文章を庶民に理解出来るよう、日本語の歌として作詞されました。当時の庶民のはやり歌『今様』にならってつくられたと言われています。七五調で作詞されています。今様の節回しはどんなものであったか分かりませんが、声に出して歌えるような趣向をこらされています。
 『正信偈』は、真宗門徒にとって大切なお聖教です。
 『帰命無量寿如来』で始まるお勤めで、何かの儀式の時には必ずお勤めされます、リズム感あふれた詩です。その正信偈は親鸞聖人によって作られた詩ですが漢文で書かれています。ですからなかなか難しく、理解しにくいものです。その内容を和文でもって歌われています。和讃の内容は正信偈だけではありません。浄土和讃。高僧和讃。正像末和讃。聖徳太子の和讃等々多くあります。
 今回は、正信偈の終わりの方に説かれています次の文章を、そのまま和讃にされています。その和讃を味わってみたいと思います。
煩悩障眠雖不見

 ご覧の通り漢文をそのまま日本語に改められて作られています。意味内容ですが、『語句』から説明しますと、まず煩悩ですが、私達を煩い悩ます原因はそれぞれの価値観にあります。相対的価値観と言われますように、損か得か、優っているか劣っているか、勝つか負けるかと言ったように価値が二つに分かれます。それを私達は一瞬に判断します。そして悩むのです。価値観というのは、ありふれた言葉にしますと、『損が嫌いで得が好き』ということです。日常生活で何とか得がえられるよう頑張ろうとするのです。そして苦労しているのです。
 苦労々と云うけれど、ある問題に対処するとして、人間努力や方法を講じることによって、解決がついたり、問題が無くなったりするのは、苦労ではありません。なぜなら、解決がついたり、問題が無くした事が、今度はその事が原因になって新しい問題が惹起します。解決したのではなくぐるぐる流転しているだけです。煩悩が問題の核心を見えなくしているからです。
 本当は苦労というのは、人間の努力や科学的な方法で頑張ってみても絶対解決のつかないものを言います。それは日常会話に使う『四苦八苦』です。どんな方法を講じても絶対に解決のつかない苦しみです。『四苦』とは、生・老・病・死の四つです。この四つの苦しみはどんな方法を講じても無くなりません。誰もが受ける苦しみです。絶対平等です。
 後の四つは、①愛別離苦②求不得苦③怨憎会苦④五陰盛苦です。先の四つと後の四つを四苦八苦といいます。よく百八ッの煩悩とか云われますが、その数え方はどこまで正しいのか定かではありません。次のような事も言われています。
最初の四苦(4×9=36。9×8=72)八苦と足して百八と言われています。他愛のない事ですが参考になれば。
 さて、煩い悩ます煩悩は私達の価値観から起こるのです。その価値観に振り回されている私自身に気づけないのです。私には真実の眼が無いにもかかわらず、頑張れば何とかなる。その内に何とかなると思っているのです。そんな私に呼びかけて下さっている願い、それが佛さまのお慈悲です。お慈悲のことを上の和讃では(大悲)と歌われています。
 世間で信心、信仰と云われていますのは、自分の都合がよくなる事を願ったり、頼んでみたりが、信心信仰だと考えられています。そんなことを信心信仰というのではありません。親鸞聖人が顕らかにして下さった佛法は仏様のお慈悲を頂くのです。もっと云えば、すでに頂いているお慈悲に気づかせて頂くのです。生きていることその事実が、頂いていることでしょう。価値観に立つと不足と、不満と、不信感の私でしかありません。そんな愚かなものが、生きていること自身不思議でなりません。


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 お祝いの言葉を申し上げます。この度は不思議な御縁で媒酌人を務めさせていただきました。末永くお二人助け合ってすばらしい家庭を築かれますよう念じる次第であります。藤代総麿先生が次のような司婚の法話を残されました。

世界的宗教、キリスト教、イスラム教、梯教と三つある中で神を立てないで梯によって助かることを教える。臨終に僻になる道を教える宗教は、悌教だけです。悌教の中でも、大多数の宗派では、お釈迦様の生涯に習って修行し、お釈迦様のような悟りを開く、傍になることを建前にしながらも、残念ながらお釈迦様のようになれずに終わっているのに対して、法然上人は、悌教は南無阿弥陀梯を称える事によって、を称えることによって、老、若、男、女、誰でも差別なく平等に助かることを、明らかにする教えであると、説いて浄土宗をお聞きになられました。
しかし、法然上人は一生独身を通されました。

この法然上人から、南無阿弥陀悌の法灯を受け継いだ親鷺聖人は、結婚して在家の生活をして、六十歳を年になって世界に類のない結婚の倫理を完成されました。そして一生を南無阿弥陀傍の法のもとに生き、死んでからではなくて臨終に、いのち終わってからではなく、いのち終わるときに、この次はもう二度と迷わない悌になることを身を以て証明されました。
晩年のお二人は、京の都と、越後と別々の生活よぎなくされましたが、二人のよりどころは、法然上人が明らかに説かれました、『ただ念悌して阿弥陀に助けられよ』の仰せを頂かれた生活でありました。
吉水の法然上人の庵での開法生活が糧になっ ていたのであります。家庭生活とは、日常の営みのなかで体験するいろんな事柄を通じて、教えを開い ていく道場を開くことであります。その事に意義があるのでしょう。

『全ての原子力発電所の運転停止と廃炉を求める』真宗大谷派の見解。

全ての原子力発電所の運転停止と廃炉を求めます。
これまで、大地震にいつ襲われるとも知れない狭い日本の国土に五十四基もの原子力発竜所を作り、電力供給を原子力に依存する生活を私達は営んできた。原子力発電所は、小さな事故であっても、故射線による被曝によってとりかえしのつかない事態となり、すべてのいのちを奪ってしまう危険性がある。

原子力発電所の稼働は原発作業員の被ぱく労働に支えられる社会を生み出し、ひとたび放射能に侵されればその地域や国土の風評被害を含め、そこに住む人々までも排除してしまうような司差別社会』を助長する。更に云えば現状の科学では、この地時上で原子力発電所で生じる放射能とは共生することはできず、むしろいのちの根漉を奪うものと認識している。さらに、この度の事故により原子力を利用する限り、現在のみならず未来のいのちをも脅かす放射線被曝を避け得ないことが明らかになった。

私たちは、すべてのいのちを摸めとって捨てない悌の本臓を仰いで生きんとする念僻者として、備智によって照らし出される無明の冒と、事故の厳しい現実から目をそらしてはならないと思っている。すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力に依存しない、共に生きあえる社会の実現に向けた取り組みがなされる歩みを進めてまいりたいと意をけっしている。


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 親驚聖人のことばで、大きく間違って使われている言葉に「他力本願」があります。
辞書などを引いてみますと、現代用語として生きている「他力本願」は、本来、聖人が使われた意味とは、かけ離れて使用されています。
 先日も和歌山の観光地、那智の滝で有名な那智山に出かけました。
すると、コマ札というのでしょうか、願いことを書かれたコマ札が沢山奉納されています。見るとはなしに読んでみますと受験祈顕でした。気持はわかりますが微笑ましいと云うよりは、「あつかましい」ものでした。
自分より下の者は落として自分より上は合格」をと言う願い事でした。このようなことでも分かりますように、自分の力では無理だから、後は,他人を頼にしたり、『神様や梯様』に祈願したりする。そんな事は起きるはずはありませんが、たまたま条件の変化に恵まれて思い通りに行った。というような意味で『他力本願』が使われるとしたら全くの間違いです。

 しかし、そう云った間違った使われ方が往々にあります。本来の意味は、自分の能力ではなかなか成し遂げていくことが出来ないものです。そういう人間の力の限界の自覚を持たずに『他力』という一言葉は成り立ちません。自分の努力の続きとして(延長続上)佛の力(他力本願)を利用しようとするならば自分の力で(自力)救われればよいのです。

 しかし、人間はどれだけ真面目であろうと、努力しようと、本当の意味での真実は人間の上にはありません。そのことに領いて、他力=阿弥陀如来の願い(本願力のはたらき)におすがするのが、親驚の説いた『他力本願』なのです。『他力本願』とは、阿弥陀如来の本願力によって浄土への往生が確かであることを意味する、浄土真宗の基本となる考えです。他力とは、相対的な他の力や自分以外の他者(人間)の力を指すのではなく、阿弥陀如来の本願力のはたらきのみを指しまず。

 親鷺聖人は、阿弥陀如来の本願力、絶対無限の世界からのはたらきによってのみ救われると説いています。
 対する自力とは、自己の力や修行・善行によって悟りを得ようとすることを指します。


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 宗祖親鸞聖人のご命日のお勤めに、お寒いなかようこそお参りいただきました。今月は、親鸞聖人が常日常頃おっしゃっておられた『悪人』について考えてみたいと思います。

   『』といいますと、道徳としての悪を考えますが、八百年前の親鸞聖人当時の鎌倉時代の人々は。『悪』というのは人間そのものが発揮するのではない。人間世界の外の強い力が人間に働きかけて、異常な力を発揮させるのだと考えられていたそうです。
 そしてその働きかけが人間にとってよい結果となるか、よくない結果となるか、それはその時々の情勢による。その結果がよれけば周りの人々は褒めことばでもあり、非難する言葉でもあったそうです。
 自分で反省できるような悪はたいした悪ではないのです。歎異抄第十三章に、親鸞聖人が「唯円よ、私の云うことを信じますか」と聞くと、唯円は「もちろんです」と答えたという話が載っています。

 親鸞聖人が「間違いないですね」と念を押しますと、唯円は「間違いありません」と答えます。続いてすると聖人は「それではまず、ひとを千人殺してみなさい。そうすれば、浄土への往生は決定するであろう」とおおせになった。

それに対して「聖人のおおせではありますけれども、たとえ、一人たりとも私のような者には殺せそうに思えません」と答えたところ、 聖人は「それでは、どうして私が云うことに背かないといったのですか」とおおせられて、「これによって、わかるでしょう。すべてのことが、自分の思うがままになるのであれば、浄土往生のために、ひとを千人殺せといわれたならば、ただちにそうできるはずである。しかし、一人たりとも殺してしまうような宿業の深い背景がないから、殺せないのである。  自分のこころが優しく善良であるから、殺さないのではない。また殺すまいと思っていても、百人はおろか、千人を殺してしまうこともあるのだ」とこのように教えられました。

 人間は自分では自分の行動を決めることが出来ないのです。自分で決めているように考えますが、そうではないのです。なぜなら、歎異抄第三章では「煩悩具足の凡夫だから」と説かれています。煩悩は自分の意思によって持っているのではありません。
 歎異抄第十三章には、「善悪の宿業」「業縁」などと述べられています。前世からの因縁が現世の私たちの行動を決めつけているのです。「悪」は、人間の力ではどうしようもないのです。
反省して改まるような悪を云っているのではありません。このことは親鸞聖人だけでなく、鎌倉時代の人たちの常識であったのです。自分で自分の行動を完全に決めることは出来ないのです。

 私たちが自覚すべきことは、私たちの行動は私たち自身が決めることができないのです。自分が自分をもちあげられないように。持ち上げるには、何か他の力を借りなければならないのです。
私たちは、自分の力で自分を救うことは出来ないのです。自分の力をあてにするのは自力執着ということです。それだからこそ、阿弥陀如来の本願の救いがあるのです。
 ここで云う「善人」「悪人」は何度も繰り返すようですが、道徳(現代社会の価値観)としての善悪ではありません。佛(阿弥陀如来)から見られている私は苦悩の存在(悪人)です。

  人はみな等しく悪人であり、親鸞聖人本人も「悪人の一人である」との自覚のうえに立っておられます。人間の罪を自覚し、自分の愚かさを引き受け、阿弥陀如来の救いを信じることが出来たとき、悪人んである人間は救われるのだと親鸞聖人は説いておられるのです。
 悪人とは、自分(人間)の悪を自覚し、自分の力ではたすからないとわかった人のことです。こうなったら助かる、ああすれば助かるといったような、価値を付けるようなことを思っていては、一向に助かりません。
  親鸞聖人の教えは、『絶対他力』です。信心を持った人こそが極楽浄土を約束されるのです。


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『佛説無量寿経』というお経に「世において無上尊となるべし」ということばが説かれています。

 「無上尊」とは「この上なく尊い」ということです。この言葉は、佛さまといわれる、いのちの本当の姿に目覚めた人が「この世に生を受けるとき誰もがあげる産声」がもつ深い意味を明らかにしてくださっている言葉です。

 人と生まれる、そのいのちとは、「この上なく尊い」「無上尊」と見出だせれるべきいのちである。ということです。  しかし、そういわれても私たちは、「誰もがあげる産声」ということと「この上なく尊い」ということを結びつけるのは無理があるのではないか。と考えるのではないでしょうか。
 私たちは、比べて優劣をつける心がいつも働いていますから、「この上なく尊い」と云われますと「きわめて少数の、ぬきんでたすぐれもの」を思い描きます。

 例えばここに百人の人がいるとして、「この上なく尊い」と言える人は何人か、と問われると、「この上なくと言うのだから、一人だけだろう」とまず考えます。「しかし、テストの満点がひとりとは限らないし、スポーツでも、一着が同タイムという事もあるし、それにしても、まあ百人中ほんの一握りだろう」とまず考えます。

 それが、私たちの普通の考え方です。ですから、「誰もがあげる産声」ということと「この上なく尊い」ということとは結びつかないと考えるわけです。けれども、そんな私たちの日ごろの心から解き放たれたような言葉に出遭うことがあります。
 ある大人が言葉がようやくしっかり話ことが出来るようになった子どもに尋ねました。「あなたはお父さんとお母さんと、どっちの方が大好きなの」お父さんとお母さんと、比べてどちらの方が大好きか、という質問です。

 子供は答えました。「お父さん大好き、お母さん大好き」。
 問いとは異質の答えです。「お父さんはお父さんであることにおいて比べることを超えて大好き。お母さんはお母さんであることにおいて、比べることを超えて大好き」と、こう答えているのです。
 誰もが知っている「チューリップ」という童謡に、「どの花見ても、きれいだな」という一節があります。私たちは、比べて優劣をつける世界しか見えなくなっていますから、例えば、「赤はとってもきれいだ」と言うと「白はまあまあきれいだ」と言い、そして「黄色はたいしたことはない」と言う。

 そういう世界に生きています。しかし、この歌は「どの花見てもきれいだな」と歌っています。
 佛様といわれる、いのちの本当の姿に目覚めた人は、世界の見え方が私たちとは違うのです。そういうことで改めて「無上尊」と言う言葉を尋ねますと、「この上なく尊い」とは、比べて尊いということではないのです。

 「この上なく尊い」とは、比べることを超えて尊いということなのです。代理がきかない。かけがえのない、そして遇いがたい、「わたし」として生まれてきたいのち。
 「世において無上尊となるべし」とは、「あなたはあなたであることにおいて尊い」という世界を語られた言葉なのでしょう。『佛説無量寿経』では、百人の人がいると百人が、無上尊のいのちだと見出していてくださっているのです。
 親鸞聖人は、私たちのような何事にも比べることによってしか生きられない物には、なかなか佛様のおこころは測りがたいものです。そうではありますが、私たちがひそかに考えてみますに生まれてこのかた、今日に至までこころに描いてきた事柄は、お恥ずかしいの一言であります。

 清浄なこころなんてありません。人さんのお付き合いでも、その方のきげんをうかがいながら付き合っているような愚か者です。佛さまはこのような私のすがた(こころのなかみ)を見透かして、悲しみ憐れんで下さっているのですと、確かめておられます。
 罪と迷いという、逃れようのない人間の事実から『絶対見捨てない』という佛さまの大悲心に出遭っていかれたのです。

 親鸞聖人は常に語っておられた言葉に『弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。』されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめぢたちける本願のかたじけなさよ』と、述懐されています。(歎異抄)
 佛さまの願い本願が、私のところまで到って来ている姿が名号(南無阿弥陀佛)であります。『誰もが等しく如来(佛さま)愛されてる。』という真実の言葉『無上尊』の意味内容なのでありましょう。


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今年は、親鸞聖人がお亡くなりになって丁度、七百五十年に当たります。
それで今年の十一月十九日から二十八日までの十日間勤まります、ご本山の報恩講を『親鸞聖人七百五十日ご遠忌御正當報恩講』と、なのられるのであります。 御伝鈔(ごでんしょう)という、親鸞聖人のご一代の様子を書かれています本によりますと、『聖人弘長二歳仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。
それよりこのかた、口に世わさず、ただ佛恩のふかきことをのぶ。もっぱら称名たゆることなし。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しこうして同じき第八日午の時、頭北面西右脇に伏し給いて、ついに念佛の息たえましましおわりぬ。 時に、頽齢九旬に満ちたもう』と、記録されています。
弘長二年を西暦に直しますと一二六二年で、七四九年前の十一月二十一日頃から体調を崩され、一週間後の二十八日お昼頃、お亡くなりになりました。 九十歳でした。当時の平均寿命は何歳らいか分かりませんが、四十歳ぐらいと云われていますので、大変な長寿であったと思います。この体調を崩されご命終の一週間を思念して、年中の最大行事として報恩講が勤まるのです。
浄土真宗の開祖であります親鸞聖人は、他の祖師方と違って家族を持たれました。浄土真宗では、親鸞聖人以来その伝統にのっとり僧侶の結婚を容認しています。 他の仏教宗派とは異なるところです。(とはいいましても昨年ではどの宗派も結婚されていますが) その結婚に踏み切った動機が次のような『夢のお告げ』だといわれています。二十九歳の時、比叡山での出家修行を止めて京都の六角堂頂法寺に百日の間、籠もられました。
何を祈願されていたかよく分かりませんが、このまま比叡山にとどまって修行を続けるべきか。山を下るべきか、今後の道を進むべき道を考えあぐねておられたのではないかと思います。 百日の予定の九十五日目の明け方に、観音菩降か聖徳太子が夢に出られてお告げを得られたのです。その夢告の後すぐに、吉水で活動されていた法然上人の元に弟子入りされたと伝えられています。 親鸞聖人の若いころのたいへん重要な出来事です。 その時いただかれた『夢のお告げ』なのですが、次のような文章です。
『行者宿報 設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導 生極楽(行者宿報によりて、たとえ女犯すとも、我玉女となりて身を犯されん。一生の間能く荘厳して、臨終には引導して極楽に生れしめん)』 という文です。原文には漢文で訓読しましたが、現代語訳しますと次のようになります。『仏道の修行者であるおまえが(親鸞)、前世からの因縁によって女性と交わりを持つことになるであろう。 その祈りには、私がすばらしい女性となって、結ばれるであろう。そして一生間、よい生活を仕上げよう。やがて来るあなたの臨終にあっては、手をたずさえて極楽浄土へ導いてあげよう』と。 仏教では本来、戒律で僧侶は結婚してはいけないことになっています。ところがこの『夢のお告げ』では戒律を破ってでも結婚しなさいと、勧められています。
というよりももっと積極的に結婚するしないは、親鸞自身の意志で決めれるのではない。これは前世からの宿業、因縁でそうなっている。前世からの約束事で避ける事は出来ない。 結婚することこそが極楽への道が約束されているのです。 この夢のお告げを受けて、比叡山との決別をして吉水の法然上人を訪ねられたと親鸞聖人の奥さん(恵信尼)がお手紙で伝えられています。しかしいきなり法然上人の教えを聞いてお弟子になられてわけではありません。
六角堂にも百日蘢もられた時と同じように、「降るにも照るにも」ですから、どんなに雨が降っていようが、またどんなに真夏の暑い日でも、何があっても、そういうことには左右されないで、ただ一筋に法然上人を訪ねられ、法然上人の仰せを聞かぬかれたのであります。
そのあたりのことを、『歎異抄』という書物で次のように伝承されています。
『親鸞におきては、ただ念佛して、弥陀にたすけられまいすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかの別の仔細なりきり』(歎異抄2章) 法然上人との百日の間に色んな議論をなされたと思います。いのちがけであったでしょう。そこで得られた結議が、『念佛していた弥陀に助けられなさい』と、云うことだったのです。
その短いことばの中にには次の三つのことがあります。
①法然上人という『教主』教えを伝えてくださった方に出会われた。
②阿弥陀に救われるという『救主』にであう。
③『念佛申せ』という勅命。「ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし」との勅命、命令を聞くしかないのです。   つづく・・・

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