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 正行寺では二年に一度、一泊の研修旅行を開催しています。 今年はその当たり年で、七月三日(日)~四日(月)湖西・北陸方面に出かけました。真夏日の暑いことになろうかと覚悟していたのですが、陽射しはきつかったですが、湖西の旅路は琵琶湖からの涼風にさそわれた旅でした。 早朝七時出発、一路琵琶湖の西岸、今津町の湖沿いの泉慶寺(せんきょうじ西本願寺派)を参詣。あいにくご住職は法務でお留守であったが、途中から加わっていただき寺の歴史を語ってくださった。

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 こちらのお寺は、ユニークな活動をなされていて、佛教婦人会のかた達による手作りの大きな紙芝居を制作して活動されているのである。こちらの在所に伝わる色々な物語を自分等で紙芝居にして、子供や孫たちに伝えようとされている。
この話が何時とはなしに近在に伝わり、今では、あちこちのお寺に出向いたり、公民館や集会所に招かりして公演されている。
紙芝居のスタッフは二十人、全員が揃っての練習はなかなか出来ないため、一人が複数の約を演じらるように練習されているという。

 私たちがお邪魔したときの演目は、『おはつ地蔵』という物語で、蓮如上人を隠れ穴に案内し、身代わりをはたす、という物語であった。蓮如上人が北陸に向かわれる途中、湖上を突風が吹き荒れたため、今津浦に船を着け圧屋の中井長右衛門宅に一夜の宿を請われた。 一家ははじめ、懇ろにもてなしたが、比叡山から回し文が出ている蓮如上人とわかると危害を加えようともくろんだ。長右衛門夫婦には、十七歳になる「おはつ」という一人娘がいた。

この恐ろしいたくらみを見逃すことが出来ず、父親を諌めるが開き入れてもらえず、このことを上人に告げて裏木戸から隠れ穴に案内する。家人に気づかれないために身代わりに空になった布団に潜っているところを、父彩の刃が襲う。

鮮血に染まって息絶える娘の姿を目にして、救いようもなく慚愧に泣く父。事情を知りお嘆きの上人は、一家に南無阿弥陀沸の名号を贈られ、長右衛門は上人のお弟子になって聞法を深められたのでした。
 お寺の方々やスタッフに送られてお寺を後にし吉崎別院にも足を運び、ご輪番(茨木保育園の保育士さんのお父さん)のご法話をいただいた。今回は今までにない研修旅行であった。

今年は何度も書いていますごとく、親鸞聖人七百五十回ご遠忌の年であります。約十年前から、お待受けの諸行事に取り組み、記念事業も膨大な事業でした。ご本山のご影堂は木造建築としては世界一の広さを誇る建築物で、次の世代に相続するための平成の修復がなせれました。
年明け早々から、阿弥陀堂ご影堂門等の記念事業が続けられる予定です。

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 今回の宗門はご遠忌ぼ総予算は、四百億近く全てが全国の東本堂寺のご門徒のご懇念であります。わが正行寺も0.00875%(3.500.000円)のご依頼がありまして、ご門徒の皆様の瓦懇志によって納めさせていただきました。厚く御礼申し上げます。
さて、今回のご遠忌法要は3月4月5月と、ご正当報恩講の四期に分けて勤められました。
3月11日の東日本太平洋沖震災支援の法要となりました。3月の法要は中止となり震災支援の法要となりました。
正行寺の団体参拝の指定は3月19日でした。

参拝募集のはたらきが遅れにおくれ、結局お茶を濁したような参詣しか出来ませんでした。
五十年に一度の折角の勝縁です、何としても一人でも多くの方々に出会って頂きたく願った次第です。
十時から法要でしたが、九時半に到着もうすでに影堂は満室で、南の端にしか座ることが出来ませんでした。
モニターを通してのお参りでしたが、それでも正信渇のお勤めを満堂の方々と一緒に唱和出来たことは、感激でした。

 聖護院御殿荘で食事をし、お庭を散策、足湯を使ったりして岡崎別院へ。岡崎別院は親鸞聖人の京都でのお住まいの地であったと伝承されていて、『親鸞屋敷』と親しまれています。お庭の紅葉に出会わせて頂き、山科の小堀京仏具工房へ、仏具製造の工程見学に。 工程見学で色んな説明を受けながら伝統工芸の術を見せて頂きました。その後、それぞれ盃への金箔押しの体験をさせて頂きました。薄いうすい金箔を、盃に乗せるのです。

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簡単なようで思うようになりません。息を止めて、金箔を竹制のピンセットではさんで盃に運ぶのですが、みんな悪戦苦闘。
工房の方の手助けで何とか出来上がり、記念品としてそれぞれ持ち帰らせて頂く。よき思いでのご本山参詣となりました。

十一月二十四日(木)本山ご正当報恩講参詣

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